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1月, 2010の投稿を表示しています

兄弟あるいは姉妹ユニット

今年は兄弟が活躍する年かもしれない。直木賞の候補に挙がった「大森兄弟」。そして拡張現実、ARの世界で活躍中の「AR3兄弟」。デザインなどの世界では「SHIMURABROS」、お姉さんと弟のユニット。古くは「グリム兄弟」、演歌の世界は「ぴんから兄弟」もいた(笑)。思い当たるなかでは、こんな感じで、あとは叶姉妹。本物の姉妹じゃないけど。AR3兄弟も兄弟の役割分担を決めている本物のきょうだいではないが。であれば、だれかと兄弟活動してもいいわけじゃない。って、すでに弟と一緒に活動し始めているので、それを今年は頑張ってやりゃいいじゃない、とね。 ほかに、兄弟や姉妹とのコラボレーションもありでしょうね。いろいろと活動も広がりそうだし。つらつら検討してみようかな。

誕生日までのカウントダウン

あと2週間。あぁ2週間で誕生日。うれしくもなんともない、普通の日まで14日。サプライズもなければ、ただ自分でご飯を作って、365日の1日を普通に過ごす。ケーキ1ピースもいらないし(この年になると太る)、豪華なご馳走もおなかに入んないし。あ、でも今年は金曜日だから少しはゆっくりできるかな。土曜日寝坊できるかも。自分へのごほうびとして、おいしいお酒でも今から見繕っておこうかなぁ。

保育園の先生はすごい

保育園生活、今年度で最後となった。上の子から数えると、0歳からスタートしておよそ10年間の保育園生活がもうすぐ終わる。そして年長組最後の保護者会があった。いつもなら、最近の様子や家での様子を軽く出席者は説明するのだが、それもなし。卒園式の説明や出し物の際の説明などなど、ほぼ卒園式と小学校生活に向けた準備のことに終始していた。あぁほんとに、もう保育園とはお別れなんだ、と思うと感慨深い。 家では、日常のことはまったく教えてこなかったので、すべて保育園のおかげで今がある。好き嫌いなくたべられるようになったこと、ひらがなや数字への興味、友だちとの関係性、あれやこれや、ほとんど保育園の先生がいたからこそ。すばらし仕事だし、いつも感謝してもしきれないほど。 卒園式では、ひどい顔になるほどぼろぼろ泣いちゃうんだろうなぁ。「もうひとり、とか、双子とかどう? また保育園生活に戻れるよ」と同じクラスのママさんから言われたが、さすがにありえないなぁ 。

iPhoneのSMS

これまで2度、送る相手を間違ってしまった。その2通とも同じ相手なのだ。いずれも、家人や弟へ送る、そっけない手短な内容だし、べつに恥ずかしい内容ではないから、見られてもまったく構わない内容だが、同じ人へ送るか私。普段メールする相手が限られており、その2人以外にはあまり送信しないから、ということもある。 iPhoneのSMSは、新着メールは最上段へあがってくる。相手の名前は、メールの上段へ出ているだけで、チャットのような画面構成なのだが、あまりに手軽すぎてさささと送れてしまうため、ぱぱっと本文を送信してしまいがちなのだ。 反省せねば。もう一回おなじことをやったら、絶縁されちゃうかもしれない…。気をつけなくちゃ

「少々」と「すこし」

私、かつてはホテルで働いていたんですけどね。その時に、新入社員研修というものがあったんです。あまりお化粧しないタイプの私が、お化粧の仕方まで研修していたんです。まったく生かされなかったけど。もちろんホテルなので、言葉遣いについてのトレーニングもありましてね。その時のことを少し。 電話に出るロールプレイングがあり、社内の人間には「さん」はつけない、などの基本的な内容はもちろん、すごく印象深かったのが「少々おまちください」は失礼なのだ、という内容。電話をかけてきた方に待っていただく際には、「すこしおまちください」とつたえてください、という内容だったのです。 いま、マナー講座などでは、どのように教えているのでしょうね。時代によって、マナーもずいぶん様変わりすると思うので、「すこし」調べてみようかな。

デジタルとアナログの境界線

たとえば、年齢では何歳ぐらいが境界線なのか。 年齢に限らない場合もある。若い方で紙が好き、という人も当然いる。 年齢的にデジタル系では上のほうの方、つまり40代ぐらいで、 新しいテクノロジー大好きでどんどん取り入れる人だっている。 結局、境界線はゆるやかにあっても、 明らかな「ここ」という年代はないのだろうか。しいて挙げるのであれば、うーんいま35ぐらいの人? 40ぐらい?

初科目試験

やっと受験できました、科目試験。昨年春に入学し、春以降の仕事の関係でまったくレポートが出せていなかったのだが、E-スクーリングを受けレポートも出せたので、やっとやっと初試験へ臨めた。しかし、未だ試験のリズムがつかめず、持込可の科目なのに、参考資料をまったく借りていなかったことを思い出したのが、試験の2日前! まずい!と大急ぎでまずは仕事先から程近い図書館で、関連本を借りた。さらに翌日の土曜日はバタバタと横浜へ行かねばならず、iPhoneで担当教授の著作を3冊調べて、家人に頼んでネットで予約。そして、試験当日。図書館の開館時間に合わせて、回りやすいルートで図書館3館をはしご。これでほぼ1時間強。正直、疲れた。試験前にへとへと。とりあえずお茶でもしようかと、大学そばにあるカフェへ。すると、どうなんだ、この雰囲気。いるお客さんはほとんどこれから試験じゃない?みたいな方ばかり。テキスト見てたり、プリントした資料を眺めていたり。あぁぜんぜん落ち着かない。これじゃだらだらしにくい。なので、コンビニでお茶買って、大学内の自習室でだらだらと、借りた本を眺め、ポストイットを貼り、試験時間までを過ごさせてもらった。試験自体は、まぁ1時間でできた内容だったが、レポート特有の言い回しが果たしてできているか、というととても微妙。仕事でこんな言い回ししたら、ぜったいクライアントに通らない。うまく切り替えねば、という両立生活ですわ。

銀座マロニエ通りのスタバ

各地のスタバを飲み歩いているわけではないが、ここのスタバ、他のお店とぜんぜん違う雰囲気なので、かなりびっくりです。まず、とっても広い。銀座の一等地に、こんな広いスペースを確保しているカフェって、あまりないのではないかしら(銀座のルノアールは入ったことがないので、比較しにくいが)。さらに、窓辺には、ゆったりと座れるソファを配置。また、雑誌類も揃っているし、CDの視聴ができるカウンター(もちろんドリンクが飲める)まである。そんなに居心地を良くしすぎると、客単価なんて知れているわけだから、回転悪いわ、大丈夫かしら?ね。しかし、それが「サービス」つーものなのでしょう。 さて、私が行ったのは、ちょうど松屋や三越が開店する前に時間をつぶしている方もいるような時間帯だったのだが、なんと、窓辺のソファにどかっと座り、テーブル上にはビニールの袋に入ったコンビニ弁当(食べたあとのもの)+バッグから缶ジュースを取り出して飲みながら、ケータイを見ている女性が。うーん謎。そういう方も、ゆっくりくつろげる、そういうお店でした~。

トライアル&エラーで

凹むことも多いのですが、トライアルしなければわからない、と思いませんか。「やってみなきゃわかんないし」ということを平気で言ってしまうので、いやがれることも多い。でも、まずはやってみなくちゃわからないじゃないですか、なんでも。チャレンジしてトライアルして、失敗したらしゃぁないし、あきらめもつく。でも、成功するか失敗するかなんて、やってみなくちゃわからないでしょ。幸いにして、失うものなんでこれっぽっちもない。恥なんて、今のうちにたくさんかけばいいじゃない。それが果たして恥なのか、経験と思うかなど、人それぞれ。当然、恥ずかしいことも、失敗も、後悔も、山ほどしてきましたよ。今でも、「あーやらなきゃよかった」とか「言わなきゃよかった」とか、その繰り返し。でも、やらなきゃわかんないんですよ。だから、いろいろやらせてください、いろいろ経験させてください。そういう人間なんですよ、私。

カラダは正直もの

昔から疲れたたまってくると、それが口のまわりにヘルペスとなって発症する体質なのです。ぷつぷつ、ぴりぴりっとなってきたら「あ、マズイ。皮膚科いかなきゃ」とね。それで、しばらくぶりに出てきたわけですこれが。自分では特に疲れは感じていないし、フツーに平気だと思っていたのに、ぷつぷつっと。さっそく皮膚科にて受診してもらいました。先生曰く「最近忙しかったんだー」とやさしくささやいてくれました(泣)。 単に忙しいからだけではなくて、ストレス、寝不足、食事のバランスなどなど、すべて関係しているので何ともいえないけど、まぁ全体的にバランスがくずれがちだったことは確かなので、「生活を整えなさい!」というお告げだと思って、マジメな生活に整えていかなきゃね。それが自分のペースでできれば、どうってことないんだけど、あー難しい。

本を読む時間

確保するには、合間合間の5分10分を有効に使うことが大切 、とたしか茂木健一郎が書いていたような気がする。そうなんですよね。でも実際、難しいんですわ。自分のそばに、つねに本とほぼ日手帳を置いているんだけど、特に家にいると他のことをやらなきゃ、となってしまう。でもそんなことを言っていたら、大学卒業できなくなるのよ困ります(泣)。今年は、まずその流れをストップさせて、本!読書! なので、家のことはとりあえず置いといて、みんなやってね自分のことは自分でね。あたしに頼りなさんな。本読むために、外にもでるし。

冬は太る、あるいは体重が落ちない

昨年秋ぐらいから、どうも顔や足(ふくらはぎ)がむくむようになった。理由はわからないが、たぶん春以降の仕事の疲れが出たのかなぁ。それまで蓄えていた筋力も、するするっと落ちてしまったことも原因のひとつだとは思う。さらに体重もベスト時から2~3キロ増えてしまった。まずいっ!冬場のダイエットは、体重が落ちにくいと聞いたことがある。夏は自然と汗もかくので水分が出ていくが、冬はそうはいかないから、という説もある。しかし、私の場合は、たぶんストレス?からくる遅い時間の食事(お酒含む)だろう(あくまでも自己分析)。 1月以降、ジムで走っている。しかし、効果はあまりあがっていないところをみると、筋力も問題ありなのかも。有酸素運動と筋肉をつけるトレーニング。それでいってみようしばらく。しかし、根本的なストレスやら食事(お酒含む)のテコ入れをしなくちゃ、クリアにならないだろうなぁ。でもやらな! とはいえ、お酒の席って楽しいから、断るのはイヤです、お声はかけてくださいまし。

人生初もんじゃ

生まれて初めて、もんじゃ焼きを食べてみた@月島。twitterにておすすめ店を2つほど教えていただき、その中でまず「あえてここ!」というお店を紹介いただいたので、そこへ。以前雑誌などで見ているイメージでは、なんだかごちゃごちゃてる食べ物だなぁ、というもの。しかし実際食べてみると、なかなかいいじゃない。しかも、ちょっとずつ食べるので、そんなにたくさん食べないから、ほどよくおなかもいっぱいになる。そしてイベント性・参加性があって、4~5人で行くならけっこう楽しいかも。 最近は、お好み焼きも自分で焼くお店が少なくなっているので、参加性のあるもんじゃもなかなかいいなぁと思いつつ、次は、もう一店の「定番」といわれるお店へ行く気マンマンで帰宅したのでした。

やったことない、をやってみる

自らに負荷をかける。それはそれは、大変に疲れる。たとえば、スポーツのトレーニングではある程度負荷をかけなければ、技術が上がっていかないように。仕事でも同じ。これまでやったことのないことや、初めてのことに臨んでみることは、最初はとても大変。当然、要領も悪いだろうし、手慣れた人やこなれた人よりとろとろする。でも、キャパを広げるためだったり、将来のことを考えたら、思いついたときにやってみたほうがいいと思うのです。尻込みせずに。世界観がきっと広がり、視界も開けてくることを信じて。

ドロップの缶のフタ自分で開けたかったのに

いわゆる、カンロドロップのフタ。あれ、最初とっても開けにくいでしょ。この前、豚児1号(小4女子)がとにかく開けたくて開けたくて、がんばっていたわけですよ。でもって、すぐ大人に対してヘルプ依頼しようとするので、「何を使えば開くか工夫しろ〜」と突き放したのですわ。台所の引き出しから、ビンを開けるときに使うゴムシートをとりだしてぐいぐいがんばったりしてるけど、そりゃ開かない、開くわけがない。かれこれ10分以上格闘して、やっぱりだめ、当然。 そのうち、豚児2号(年長男子)がなにげにはさみを持ってきて「パカッ」と開けちゃったわけですよ。すると、豚児1号。泣くわ叫ぶわ、たいへんな騒ぎに。そりゃそうだ、小4・10歳がうんうん唸ってがんばったのを、未就学児・6歳がいともカンタンにぱかっとやっちゃたんですもん。立場もないし、自分の達成感はどこへ?ってもので。 上の子と下の子、こんなにちがうわけですよね。下の子の要領の良さに、久しぶりにびっくりした事件でした。

方向オンチがとまらない

かつてはそれほどじゃなかったのに。ここ数年、初めて行く先へまともに到着したためしがないような気がする。打合せ先、取材先、病院、お店などなど、挙げ始めたらきりがない。先日は、駅から徒歩4分というギャラリーへ行くのに、20分以上かかってしまった。これって病気? 友だちは、私が激しく間違えることがわかっているので、ていねいにメールで教えてくれたりもするようになった。ありがたい。でも、まって。それって私が間違えているんじゃないような気がするんですわ。 目的地への地図は、だいたいその場所のwebサイトに掲載されている地図をプリントして持参するか、googleのマップをプリントしている。その地図のせいじゃないかしら。 それまでは、東京都のマップをプリントしたり、地下鉄ガイドマップの駅周辺地図を見ながら、目的地へ向かっていた。それをしていたときは、間違えなかった。そうだ、webのせいかも。 webサイトの地図は、おおざっぱだったり、角の目印が明確じゃなかったりする。作り手がざっくり作っているケースも多い。となると、私の方向オンチはびょうきじゃないはずだー。今度からは、地図帳コピーしてむかってみよう。口の減らない友だちは、たぶん「そんなことやったって、一緒だよ」と言いそうだけど。

出会いと再会と

昔の上司(直接ではいが)に再会した。去年家のそばで10年以上ぶりにばったりお会いし、その後メールを送り、一度会ってお茶したぐらいで、そのあとはごぶさたしていた。まさか仕事先で会うとは。東京が狭いのか、仕事をしている業界が狭いのか。とにかく、元上司は大変驚いていた。「新年会をぜひ」と年末にメールのやりとりはしていたが、まさかまさか突然のランチデートとなった(笑)。 仕事の状況、業界の動向などなど、自分より年上の方から聞く話は、とても興味深い。上司であった当時は、いまのようなつながりを持てるとは思ってもいなかったし、ましてやサシで食事など想像もしていなかったので、人と人の出会いはとても大切ですね。そう思えるようになったのも、年齢のせいかしら。

肯定し受け入れてみる

すべてを受け入れることって、難しいけど。人の話を疑わずに「それもいいね−」と肯定することや、人の趣味や好みをすべて「いいねいいね」と肯定できたら、自分のキャパも広がるかもしれない、とふと電車から降りて、改札を出たときに思った。井の頭線から銀座線へ乗り換えるために、てくてくと歩いていたとき。いろんな人がいる。いろんな服を着てる。いろんなヘアスタイルの人がいる。それらの人すべてを、「いいねー、それもいいねー」と受け入れてみたら、思想が変わるかも知れないってね。

10数年ぶりに音楽と

ずっと前に、大手輸入レコードCDストアの地方店でアルバイトをしていた。連日、雑多な音楽に包まれ、それはそれはとても幸せな毎日。周囲のスタッフは当然音楽に詳しく、質問するとなんでも答えてくれるし、なにより音楽に対して深い愛情がある人たちばかりで、その愛がひしひし伝わってくる。愛情を持ちながらそれを仕事にすることって、なんてステキなんだろう、といつも感じていた。さらに、店長がすごい。ビートルズマニアなのだが、どんな音楽に対しても悪く言わない。ストーンズもエアロスミスも、オフコースもなんでもすべてオッケー。すべてを受け入れるって、哲学的ですてきだなぁ、かっこいいなぁって。 その後、アルバイトは辞め本当にやりたい仕事に向けて準備を始めたのだが、それと時同じくして少しづつ音楽やレコード店とは疎遠になっていった。自分の興味や気持ちが、すっかり仕事モードになったというより、心の余裕がなくなったともいえるかも。 その後もろもろとあり、「お母さんといっしょ」なども経て、いままた音楽へ戻ってきている。きっかけは、電車通勤。通勤時間に読書と音楽。それからは、もう「失われた10数年」を取り戻すかのように、あれこれ何でも聴きまくっている。かつてであれば絶対聴かなかったような音楽も、もう空で歌えるほど聞き込んでいる。仕事のときはこれ、掃除洗濯のときは、これ。などなど、楽しみ方はさまざま。音楽がある生活は、いいもの。走るときも聞きながら。音楽で「あーこの曲よく聴いてたときは、こんなことやってた」とか「この人のことをよく考えてた」なども。今となれば、そんなことも思い出される。

成人と親と子

毎年、成人の日にはサントリーが「新成人おめでとう」広告を新聞に掲載している。かつては山口瞳氏が、そして今は、伊集院静氏が新成人たちへエールを贈るべく文章を寄せている。今年は「パパとおやじから」娘と息子へという内容。そうか、二十歳になると親とお酒が飲めるんだ(うっかり忘れていた)。二十歳ぐらいの時って、果たして親とお酒を酌み交わすほど、仲良くするかしら? 自分のことを振り返ると、親とお酒なんてぜったいイヤだったような記憶があるんだけど。いまの子たちは、ちょっとちがうのかな。ご両親と同居中のアラサー女子という友だちがいるが、一人っ子とはいえお父さんお母さんととっても仲が良くて、お父さんとしょっちゅう家飲みしてるって言っていたし。親への反発ってあまりないのかもしれないな。ところで知人の男性で、二十歳の娘さんをお持ちの方がいる。一人娘で、いわゆる「眼の中に入れても痛くない」ほどの溺愛ぶり、まさに。果たして娘さんと一杯、やってるかしら? 「おとーさんと飲むの、いやだ〜!」なんて言われたら、かなり悲しむだろうなぁ(笑)。

夢にでてきたひと

数日前の朝、夢にでてきた知人から、その翌日にメールをいただいた。私は普段、あまり夢をみない。覚えていないだけかもしれないが、正直朝になるとまったく覚えていないことのほうが多い。なので、夢にでてきてそのことを覚えていたことにも驚いたのだが、あまりのタイミングに正直びっくりした。 何かの前ぶれとして夢を見たのか、それとも私がその人のことを気にしていたのかしら? とにかく、そういうこともあるんですね。近いうちにお会いする予定なので、そのときに話してみよう。話されても、困っちゃうだろうけど(笑)。

掃除または整理整頓

昨年の春以降は、とりかかった仕事の都合でほとんど家を空けていた。なので、家の中が荒れ放題のまま年末に突入し、年が明けても掃除するはめに。本来3が日は掃除洗濯をしてはいけないということらしいが、そんなことを言うとったらこの家どうなっちゃうの、というぐらい。さらに、家人不在の間にやったほうが進むということもある(捨てられない人たちだし)。その結果、引っ越しするだろうなとおもわれるほどのゴミを出した。 今年は「すてせいり」年にする、決めた。前向きに、ポジティブに捨てるのだ!

〆張鶴はまるい味

昨年は、これまで疎遠だった日本酒を飲む機会もあり、ものは試し、いい機会なので年末に近くの酒屋さんで「〆張鶴」を買ってみた。以前、村上春樹のエッセイに新潟で飲んだ〆張鶴がいかにおいしいか、という文章が記憶に残っていたのだ。で、お味は。おいしいっっ! なにこれ! いままで飲んだことのある日本酒とは、ぜんぜんちがう。まあるい味で角が立ってなくて、ふわぁーっと口の中に広がる感じ。甘くてやさしい味に、腰をぬかすほど驚いた。いままでは、ビール一辺倒だったのだが、日本酒いけるじゃない! ハマりだしそうな予感がする。こまったもんだ、大学用のレポート書かなきゃいけないのが、山積みなのに。

「初期の理不尽な発熱を失ってしまった恋愛」

村上春樹の本だったと思うけど、違ったかな。面白いフレーズだなと思い、iPhoneにメモった。恋愛は、その初期に異常なほど盛り上がり、発熱する(そうですよね)。その熱たるや、東電に売って新宿・渋谷・原宿に、恋愛発電所が作れそう。自らが発電、なんてステキでエコロジー。いわゆる恋愛の「初期衝動」。そういえば「ヒップホップの初期衝動(@□□□:クチロロ)」の歌詞も、発熱感が伝わる。  ヒップホップの初期衝動  突き動かされ 今もほら こう  マイク持ったら OH騒動  行き先浄土のオールナイト・ショー で、その発熱を失ってしまった恋愛とは。誕生日やクリスマスは居酒屋でも、お好み焼きやでも大丈夫。それくらい、理解し合ってる関係。安定期といえるが、惰性とも表現できそう。 「初期の理不尽な発熱を失ってしまった恋愛」。本文の前後関係は覚えていないが、このフレーズだけとらえると、否定的な表現で使っていたような気がする。 発熱という表現、よくわかる。うまい表現だなぁ。だれしも一度は経験した、せつない感じ。いいなぁ発熱。恋愛に限らず、出会ってドキっとして気にいてのめり込めるものがあればあるほど、豊かになれるから。今年はたくさん発熱しよう。

雪が積もる音

知ってる? 積もる時というか、降っているときに音がするんですよ、夜中に「しんしん」って。ほんと。外はだれも歩いていないんですよ。だって、人口1万人いなくて、土地ばっかり広くて、人より牛の数の方が多いような田舎だし。でね、その合間に霧笛が「ぼ〜〜」って聞こえてくるの。信じられないでしょ。でもね、ほんとにするのよ、雪が積もる音って。 前にその話をしたとき、ひとりだけわかってた人がいたの。思わず「ねー! そうなんだよね!」と。うれしかった。

学生生活、開始。

昨年春から大学生に。知りたかった深めたかったことに挑んだ矢先、多忙な仕事にとりかかってしまい、スクーリングは通えず。結局1年目の単位はひとつとれるかどうか、という状況。 「学生証」を持ってトクしたことも。美術館に行くと、学生価格で鑑賞できる。これはとても嬉しい。森や写真美術館に年末行ってみたが、これまで以上にしっかり観ようという気持ちに。また、場所によっては指定学校制なるものもあり、大学によってさらに割引されるようなシステムもあった。 美学に興味があるので、そちらに進もうかどうしようかと検討している。が、まずは本でいう乱読のように、美術も乱観?しつつ、専攻を決めようと思う。そういえば、映画館もたぶん微妙な割引があるかもしれない。もっぱらDVDばかりだったので、映画館へも足を運ぼう。3D上映は、やっぱり映画館でしょ。

幼少体験

もともと実家が船舶関係の無線屋だったせいか、半田ごてやよくわからないケーブル、無線機、レーダーなどがぐちゃぐちゃと仕事場にあった。それらを見て、また臭いを嗅いで生活していたためか、どちらかというと機械系のものが好きだ。しかし実際、自ら進んだ世界はおもいっきり文系、文章や文章っぽいものを書いて、作って生活をしている。 いまだ、半田ごてを見たり(見る機会なんて、普通の人はないだろうが)、Macやテレビの裏側のケーブルごちゃごちゃというものを見るのは実はイヤではなく、ケーブルぐちゃぐちゃは普通でしょ、ぐらいの感覚すらある。デジタル系やメディアアート、インタラクティブなものが好きなのも、幼少体験からきているのかも。 広告の世界は、これまで以上にメディアアートの世界で活躍している人たちが重宝されそうな時代。美術好きな私にとっては、青田買いしてるのかしら、というなんだか複雑な気持ちもあるが、技術が活用されるのはいいことでもあるだろうし、またアーティストはどんどん先へ先へと進んでほしい。私も、もう一歩先へ。

10年代最初の買い物

掃除機用のゴミパック。初売りの日に買ったのが、これ。ゼロ年代が終わり、10年代の始まりにふさわしいと言えばふさわしい。もっと、さまざまなものを整理しろ、というお告げだと心に刻むことに。 正月も今日で終わり。明日かあさってにもしかすると京都へ行くかも知れないが、まずは今日できること(つまり掃除)をある程度終わらせ、明日から始まる10年代の仕事をしっかりと。 新しい手帳への書き込みも終わった。動こう。

入浴読書

家人がいないため、とっても久しぶりにゆっくりとお風呂に浸かっている。これまで入浴中に読書したことがなかったのだが、初めてこの二日間汗が出るほどのんびりと。濡れちゃってもいいかなぁという文庫を、適当につらつらと読んだのだが、昨夜と今日は川上弘美「溺レる」。短編だしまぁ適当な長さかも、と。どうやらちょうどいい長さであったようだ。ただ、読後感があまりスッキリとはしないので、ちょっとモヤモヤしているのが残念といえば残念。 お肌にも体調にもよさそうだし、続けてみたいのだが、たぶんムリかなぁ。とほほ。

おそば屋本

とりあえず2冊読了。新潮文庫と、最近出たおしゃれ系そば屋本。 杉浦日向子さんとそのお仲間が書かれた本が、自分にはしっくりと。改めて、おやじっぽいというか、男性的なのかもってことを認識...。