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1月, 2011の投稿を表示しています

小説家になりたいと相談された

小5の女の子に、相談された。「小説家になりたいんです。小説家になるための勉強をしようと思うけど、どうすればいいの?」 私もわからない。いろいろな仕事、いろいろなアルバイトをしてみたらどうだろう。人をあやめる以外、法に触れる以外のことは、なんでも体験してみたらいいんじゃない。人を好きになって、傷ついて、ケンカして、ひどいこと言われたり言ったり。肉体労働、お酒のお店で働いたり。とにかく、いろいろな経験をしてみるのがいいと思う。 こんな話をつらつらしてみた。小説家にならなくても、それはきっと同じなんだろう。 ひとつの道に決めたひとは、それを極めるということももちろんあるけど。この先、どうなるかなど、だれもわからない。いろいろな経験してみて、そこからささやかだけど大きくふくらむ何かを見つけてほしい。経験によって、それが小説家じゃないことに気づくことだってあるかもしれない。なんでもやってみなくちゃ、体験しなくちゃわからないから。 人と同じことなんて、しなくていいよ。自分の歌を唄っていって、Hちゃん。

うまくならなくてもいい

狭いところを自転車で通るのが、ものすごくヘタで、よく人にぶつかりそうになる。ポールが数本立っている障害物があると、それだけで「こわっ、降りちゃお」となる。それはおそらく、私が北海道で育ったせい。 北海道に住んでいた頃、狭い道を自転車で通った経験は、ほぼない。さらに、北海道の田舎の人は、車のとめ方も豪快だ。斜めにとめる人も多い。だって、だれにもとがめられないし。 以前父が上京した際、世田谷区の狭小住宅の半地下にとめてある車を見て、たいそう驚いていた。そりゃそうだ、まっすぐとめなくても構わないわけだから。 上手にとめるテクニックなど、求められていなかった。なので私は、この先も自転車の運転は、うまくならないだろう。いいんです、上手にならなくって。ぶつかりそうになったら、降りればいいのですから。 ムリする必要なんて、ないでしょう。できないことは、できないなりに、できるふりをせずに。自転車も、コミュニケーションも。そう心がけている。

「くまとやまねこ」

という絵本を読み返した。 仲良しの鳥が死んだ話から始まる物語。 喪失感から時間とかけて、再生されるくまの気持ちが描かれている。 酒井駒子の絵がなんともいえず、切なくて悲しい。 「100万回いきたねこ」同様、本屋で読み泣いてしまった。 そのときは買わなかったのだが、後日改めて購入した。 たぶんずっと手元に置いておく本のひとつ。

植田正治展 ー 写真とボク ー @埼玉県立近代美術館

行ってきました。演出写真の植田さん。初期作品や家族写真が私は好きでした。特に、子どもと一緒のものなどは、本当にカワイイ。奥さまも非常に魅力的。「パパとトッチン」という写真は、子どももお父さんもうれしそうで、楽しそう。見ている側も、ついニコニコしてしまう。 ご自分のことを「アマチュア」と言い続けていらしたんですよね。なんと、まぁシニカルなこと。ほかの作家さんへの、批判でしょうかね。 砂丘も被写体も魅力的、家族も楽しそう。そう思えるのは、時代もあるのかなぁ。いま、こんな写真、だれか撮れるだろうか。 ちなみに、埼玉県立近代美術館。 館舎 の設計は黒川紀章。 館内では数多くの名作椅子に座ることができ、椅子の美術館としても知られているそうですよ。座ってくればよかった。。

優先すべきこととは

人間にとって、大切なものの優先順位は、明らかに違う。 私の実家は、ちいさいながらも商売をしていました。 子どもの頃、お正月になると必ず顔を出す人がいた。その人は、なぜ自分がいま大変か、なぜお金が払えないかを、茶の間で大声で語っていった。 父母はじっと聞いている。相づちをうちながら。 私たち姉弟は、戸を閉めた隣の台所で息を潜めながらじっとしていた。 お金の話をしていることはわかるが、商売などのことまではわからない。 イヤでもその人の声は聞こえてくるから、幼い子どもでも事情はほぼ理解できる。 その人はいつも、大きな車で現れる人だった。 なぜ、お正月になると来るのか、なぜこんな時に。 不思議で仕方がなかった。 でも大きな車に乗っている。あんな車に乗れるんだ。 不条理はたくさんあることを、子どものころに悟った。 プライオリティは、それぞれちがう。 どうにかできることと、できないこと。 田舎のルールも邪魔をする。 私にどうすることもできないこと。