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1月, 2012の投稿を表示しています

志の輔らくご、初体験@パルコ劇場。

今年は、和のものに関わることが多い。 縁あって、 志の輔さんのらくご を聞きにいってきた。 プラチナチケットです。 ぜんぜんとれないと噂で聞いていたので、 私が行ってもいいのかしら?と思ったのですが、 でもせっかくのチャンス、よろこんで駆けつけました。 今回はこんなポスター。 なんと樽酒。 関わった制作関係者のお名前はこのように。 演目は、会期が終了するまでは 外に出してはいけないルールらしいので、 あえて出さないでおきますね。 さて。 談志師匠がお亡くなりになって、 初めてパルコでの公演。 その影響ってあるのだろうか。 それとも、なんとなく疲れていただけなのかな。 とっても楽しかったし、満足なんです。 でも、どこか寂しげというか。 楽屋に戻ったら志の輔さん、 うつむいているんじゃないかな、 そんな印象も受けた。 初めて聴きにいったのに。 私が考えすぎだろうか。 最後に少し思い出話もされていて、 ほろりときた。だからかな。

ギャラリーぐるぐる6か所めぐり

ずーーっとバタバタ、時間に追われている。 先日も、朝から企画・提案書を作り続けていた。 出来あがって、すぐメール。 そして、打ち合わせへ駆けつける準備をしていたら、 なんと、行かなくてもいいことに。 ありゃ?と、拍子抜け。。でも、待てよ。 これはたぶん、がんばっていた私への、 神様からのごほうびなのかも。 と解釈したわけです。そう思ったら、 なんだかとてもラッキー、 ハッピーな気分になってきた。 じゃあ、この「ごほうび」の時間、 自分のために有効に使わなくちゃ。 てなわけで、観に行きたかった展覧会やギャラリーを ぐるぐると6か所まわる予定を、急きょたてたのです。 いくつか候補があったけど、ルートは、 汐留〜銀座〜田原町〜浅草橋〜浅草という流れで決定。 まずは、 1) 「今和次郎 採集講義」 展 @パナソニック汐留ミュージアム 今和次郎(こん わじろう) 1888年 ( 明治 21年) 7月10日   -   1973年 ( 昭和 48年) 10月27日 )。 民俗学 研究者。 民家、服装研究などで業績があり、「考現学」を提唱し、建築学、住居生活や意匠研究などでも活躍。 東京美術学校(東京藝術大学) 出身 。 早稲田大学理工学部建築学科 で長く教壇に立ち、日本生活学会会長、日本 建築士 会会長も務める。どこへ行くにも背広でなくジャンパーを着ていた。 というお方です。イラストレーターの大田垣晴子さんは、 学生当時、小池一子さんのアドバイスで、 考現学っぽい活動をはじめたそうですよ。 もしかしたら、今和次郎さんの影響もあるのかもしれません。 柳田国男さんとの交流と民俗学、考現学、 住居学、震災がらみなどについての言及は 専門の方がいらっしゃいますし、 私はこのような学問、詳しくありませんから、 デザインと内装についての感想を。 観に行くまえに カタログ は入手。 少しだけ予習して向かいました。 ●生きていたらイケイケの イラストレーター、デザイナー? 細かい線、細かい文字、細かいレイアウト、 手描きによる仕上がりのクオリティがすごいです。 文字の配置、囲み、飾り文字などなど、 どんだけ書き込んでいるのやら。 図録でカラー掲載されてい

表現者は、表現していくしかない。

とある写真家の方へ、取材をお願いしているのですが、 アポがとれない状況が続いています。 検索してみると、SNSアカウントを持っておられる。 どうやら、個人的な事情で 田舎へ帰省されているらしい。 精神的にも大変な状況が綴られている。 そして、SNSもやめる旨、記述されている。 内容から推測すると、 取材を受けられる精神状況ではないことは、明らか。 つらい心理、とても理解できる。 写真集を見直してみた。 改めて写真を見て、涙が出てきた。 つらさ、そして喪失感。 表現者は、これらの問題に対峙した時、 表現しながら伴走するしかないんだと思う。 乗り越える必要は、ないのです。 喪失感は、たぶん消えることは、ない。 つねにその出来事を、心のすみに抱えながら、 一緒に生きていく、伴走し続けていくのです。 周囲からの期待もされている方。 ゆっくりとした時間を過ごして、 心をおだやかに、決してあせらずに、 少しづつ日常を取り戻せますように。 そして、表現者として再度、 表現のステージへ戻ってきてほしいと願うばかり。

FA magazine vol.32

たまには、関わった仕事の話もしていいですか。 ここのお仕事、継続して関わらせていただいています。 arimino FA magazine 32号。

北海道の雪、東京の雪。

私は、雪国の港町育ち。 人口も1万人に満たないような、 田舎町で生まれ、育った。 これは、弟に送ってもらった、 今夜の様子。 私が子どもの頃、雪が降るとしんしんと音がしていた。 静かな夜。通るクルマだって、まばら。 正直、ほとんど夜は通らない。 もちろん、だれも歩かない。 キタキツネやシカだって、まともには出てこない。 でも、音がするのです。しんしん、と。 雪が積もるのです、しんしん、と。 たまに、シャリンシャリン、ゴーっという 激しい音もしてきます。でも、それは除雪車。 大きなタイヤに大きなチェーンを巻き、 クルマのリア部分に、ななめの刃がついたような そんなカタチの大きな除雪車が通ります。 ものすごい大型の除雪車。 そして、除雪車が通り過ぎると、また同じように しんしんという音しか聞こえない静かな世界がやってくる。 音がないのに、音がするって とても変な感じなのです。 でも、それが普通なんです。 住んでいる人は、不思議でも何でもなくて、 その音が日常なのです。 東京では、わからない音、 絶対に聞こえてこない音。 たまに、聞きたくなる。 雪の積もる音が聞きたくて、 家に帰りたくなる。 東京にいて、いいのだろうか。 とても、切ない。

snow world in tokyo

そして翌朝。 早起きしたのですが、 残念ながら、雪だるまは作れなかった。 雪がかたすぎ。 ガリガリしすぎで、断念。 もっとどかーんと降ってくれないかな。