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2月, 2012の投稿を表示しています

原弘展へ@東京国立近代美術館

日本デザインセンター設立者のひとりで、社長でもあった原弘(はら ひろむ)さんの展覧会もみてきました。ポロック展と同時開催なのです。 おお、カッコイイ。 原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの @東京国立近代美術館 5月6日(日)まで 亀倉雄策さんはわかっていても、原弘さんについては私あまり知りませんでした(すいません、無知です)。でも今回展覧会を見て、たとえば プロパガンダ・グラフ誌『FRONT』 は、デザインの雑誌などで見た記憶がありますし、あれやこれや見かけたもの、かなりたくさんありました。 国立近代美術館が京橋に開館した1952(昭和27)年から1975(昭和50)年まで、23年間にわたって、展覧会ポスターをほぼ一貫して手がけていたのですね。 そのポスターがずらりと展示されていたのですが、本物のポスターと対比させるように、なんと「版下」、指定紙も展示されています。赤字入りです。手書きのタイポと、赤鉛筆での指示入れ。さらに特色チップを、ぺたぺたっと貼りつけて。この指示の入れ方が、とってもリアルで面白いのですよ。 ところで、版下(はんした)って、わかりますか? 印刷するために印刷屋さんへ依頼するための指示を添えている原稿です。文字や絵などをバリバリと、切り貼りしたものです。 いま、イラレやフォトショで、ちゃちゃっと加工して、文字もたとえばMB101などで組む、Macでデータ入稿な時代。その昔は、こういう手作業をしていました。写植屋さんや製版屋さんもいましたしね。 版下があった時代って、デザインが好きで好きで しょうがないようなデザイナーさんが、せっせと版下に向かって、ピンセット持って赤えんぴつ持って向き合ってい たような気がします。いま、Macでレイアウトし ているデザイナーさんを見てると、ほんとにデザインが好 きなのかな?と疑問に思うこともあるのです 。デザインが好 きということじゃなくて、コンピュータが好きなの かなあ、と。それは、モニタに向かっているだけだから、仕方がないのですが、難しいなあ。 もちろん、デザインがすごく好きな人もいますから、一概にはいえませんけど、手描きの指示原

ポロック展@東京国立美術館

相変わらず、ノマドな日々。 もちろん、こもって作業することもありますよ。 そうしなくちゃ、コピー書けないですしね。 ってなわけで、合間をぬって行ってきました。今回は竹橋です。 生誕100年 ジャクソン・ポロック展 5月6日(日)まで @東京国立近代美術館 ポアリング(ドロッピング)、どかーん。 上記の作品は、ポロックの絶頂期に制作したというもの。1950年制作です。その前の時代、初期は作品のテイストがずいぶん様子が違っていたので、驚きでした。キュビズムの影響もあるのですね。メキシコの壁画やネイティブ・アメリカンの影響かな、という作品もあったし、シャーマニズム風作品も見受けられた。 そして、絶頂期を迎えるのが、1950年のちょっと前ぐらい。この作品、すごい。本物は、さらにすごい。バリバリのマチエール、どの色からドリッピングしたんだろう、わからないほど、重ねて重ねて、ボコボコになっている。本当に驚いた。 短めの映像が2つ放映されていたのですが、それについての印象を少し。 アクション・ペインティングは、脳と視覚と運動神経が一体となって、その信号がカラダのすみずみまできちんと行き届いているからこそ成立するわけですね。自分が考え、イメージしたとおりに腕とカラダを動かし、描くということ。運動神経と脳、視覚が相当発達していなければ、作品にならないでしょう。絵がヘタな私にとっては、自由に腕を動かし、カラダを使うドリッピングの「運動性」について、似たような印象を抱いたことがあります。以前、元バレリーナ草刈民代さんのインタビューをまとめた際、バレリーナはアスリート、と感じたのです。それと同様、美術作家もある意味アスリートじゃないかなと思ったわけです。 会場から出ると、ポロックのアトリエとなっていた小屋が再現されていましたよ。カッコイイ。

田中一光ポスター1980-2002@ggg での言葉

先日行ってきた 田中一光ポスター1980-2002 この話よくわかる、と思って書き留めた一文が、これです。 その通りだと思います。 デザインとは条件反射 田中一光 忙しさが才能を出してくれる 一つの要因にもなっていた。 デザインというのはあまり考え込んでも いいものができない。 ヒマでもできない。 ある程度忙しくて、まぎれた勢いで 作ったほうが出来のいい場合が多い。 あまりじわじわやっていると、 集中力がなくなって何かが 逃げていってしまう。 その点デザインとは条件反射のような ところがある。 一つのテーマをずっと長いこと抱えていると かえって辛くなってくる。 自分の資質とテーマの関係が マンネリ化するのか、新鮮に 受け止められなくなってくる。 新鮮でありたいと思ったら、どんどん他の分野に 首を突っ込んでいくというのが今も変わらぬ信条である。 コピーの仕事も、その通りだと思いました。 モーレツに忙しい時期がなければ、 書けるようになっていかない。 書くためには、忙しい時期を体験するということ。 そう思います。

タダオといえばウメサオ@科学未来館

「タダオ」といえば、ANDO。ちがいます、 そっちじゃなく、こっちのタダオです。 梅棹忠夫(ウメサオ タダオ)、民俗学者です。  タダオ・ウメサオ、どーん。 お名前はわかるのですが、どんなことされていた方か、 あまり知られていない気がします。 そういうわたしは、エラソーなことは言えません。 ほぼ日での紹介 を読むまで、なんとなくしか わかっていませんでした。おはずかし。 ざっくりと紹介すると。 ------- 梅棹さんは、フィールドワークを軸においた 生態学、民族学、比較文明学の偉大な先駆者として 知られる人。 そうなのです。 インターネットがない時代に、 内モンゴルやインド、アフガニスタンなど 世界のさまざまな国へと出かけ、 フィールドワークを重ねて発表していらした方。 おびただしい量の資料、メモ、スケッチ、ノート。 それらが展示されています。 はい、そうです。 企画展 ウメサオタダオ展 ー未来を探検する知の道具ー この、 科学未来館での展示 は、 2011年3〜6月に開催されていた、 国立民族学博物館@大阪での展覧会の巡回展です。 その大阪での様子は、 ほぼ日での紹介 が、とてもていねいに、 わかりやすく構成し、紹介しています、さすがです。 詳しくは、ほぼ日のサイトを読んだほうが、 よくわかると思います。 なので私は、そうじゃないことなどを書き留めようと思います。 この展覧会は、「どんどん撮影してください」という展覧会。 これから行かれる方は、ばしばし撮影するつもりで 行かれるといいと思いますよ。 アイデアや文章のもとが、これ。 カードに書いたり貼ったり、整理上手。 机の上は、タテ・ヨコきっちり。 旅行時にいつも持ち歩くものも、キッチリと。 忘れ物をしないように、常に持ち歩くものは箱に納めて。 フィールドワーク時はこのようなスタイル。 このノートの数! ひたすら手書き。 きっちり、美しい。 文章の途中、キレイにレイアウトされたイラスト。 スケッチもうまい、かなり。 生活感が伝

ソーシャルに飽きた。それは悪いことじゃない。

わざわざツイッターで言うことではないんだけれど、 ちょっとツイッターに飽きてきたような気がする。 やめた、というほどのことでもないんだけどね。 とイトイさんがつぶやかれていた。 依存度や中毒性が高くなりそうな自分への警告。 人との距離感に疲れた? 見たくないものまで見えてしまう、 居心地の悪さだろうか。 それもあるでしょうね。 その感覚、とてもわかる気がする。 だから私は、twitterやfacebookではなく、 ブログへの書き込みが増えたのかもしれない。 みんな、飽きっぽいんだよね、結局。 執着しないというか、次の新しいものにすぐ流れてしまう。 でも、それは悪いことじゃないと思うのですよ。 飽きた ↓ そこに空きスペースができる ↓ 新しものを吸収する場所ができる そんな感じかな。 だってね、空きスペースがなきゃ、 テニスでスマッシュ狙える場所ないし。 サッカーなら、スルーパス出す場所ないってことだから。 わかりにくいかな。 飽きた、なんだか悶々としている、 その状態って、『 じゃあ次、なに食べようか?』 みたいな次へと進む、その前の インターバルなんじゃないかな。 いま一度振り返ることや、立ち止まって考えること、 悪くないと思うしね。 どんどん飽きたら、いいじゃない。 ソーシャルなネットワークって、なんでしょうね。 「おはよう」と、だれかに向けて つぶやく。 それに対して、お返事をする。 どこへ行った、なにを食べた。 小さなクレイ・コミュニティ、 それは、趣味や目的でたまたま集まることが できた、そういうものすごく小さなつながり。 それを増長してる? 活用の仕方は、人それぞれ。 それはそれでいいのです。まちがいも正解もない。 何をつぶやいてもいい場所だから、 だれも否定しないし、正しいあり方だと思う。 どこからか流れてくるネコの写真もかわいいし。 好きな美術の情報や、 作家の最新動向もわかる。 おもしろいことをつぶやく方、 何人かいらっしゃるし。 つい「ぷっ」と笑ってしまうこともしばしば。 本当に便利な時代です。雑誌いらず。 私は、かなり活用しているほうだとも思う。 でも、イトイさんと同じように、 私はいささか飽きてしまっていることも事