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単身介護帰省

春休みのすき間を見はからり、ひとり2泊3日の帰省。 母の様子、認知症が進んでいることを確認。 父は、相変わらず聞こえない、見えない、でも食欲と口だけは衰えず、それは変わらず。 今年、どこか施設を、と検討しているが、どうなるかそれも不確定。 帰りに空港で豚丼を食す。微熱がある体にはヘビーすぎて、完食できず。

なぜ『かないくん』を買おうと思ったの?

かないくん 谷川俊太郎 作 松本大洋 絵 発行:東京糸井重里事務所 中2女子に聞かれた、「なんでこの絵本、買おうと思ったの?」。 んー、簡単に言うと、読みたかったから。理由は、2つか3つあるな。 この本の発売は、1月末ぐらい、ついこの前だった。本が発売になるちょっと前に、私の同業の友だち、なくなったでしょ。私が、黒い服をひっぱり出してきたの、覚えているよね。去年の11月にお見舞いに行ったの、覚えている? で、その人の存在が(少なくとも)不在になって、記憶だけになったことが、かなり大きいかも。 あなた中二だから、身内がなくなったり友だちがなくなった体験がこれまでないだろうから、「死ぬ」ことについてピンとこないだろうけど。大人だって、実はあまりピンとこないものだよ。 あと、お正月に帰省した際に、親の老いを感じたのがね。おじいちゃんがもう、ずいぶん長く糖尿病を患っているのは、知っているでしょ。 で、総合失調症といわれているおばあちゃん。おばあちゃんはお料理もままならないぐらいになっていたでしょ。おフロだって入るのがもう面倒になっている。口の周り、カサカサしていたでしょ。あれは、単なる乾燥じゃなくて、身繕いが、もう面倒になってきているのだと思う。人は変わらない部分もあれば、変わってしまう部分もある。老いは、だれもが変わってしまう部分だから。 それらが、本を買おうと思ったきっかけかな、思えば。 -------------------------------------- ゆっくり読んでみた。そうか、こういう内容だったのか。谷川さんが、子どもの頃に体験した、クラスメートの死についての話だった。 これを読み終わり、そういえば私、高校3年生の冬にクラスメートを失ったんだった。そのことを思い出した。 彼女は、心臓の病気を患っていた。彼女とは小学校も同じで、小さな頃から心臓が弱く、体育の時間は、激しい運動ができなかった。でも、本当は運動が大好きで、なんでもすぐできちゃうような人だったから、「もったいないなあ」と思っていた。 美人で男の子にも人気だし、ほがらかだし、勉強もよくできる。病気以外は、有り余るほどのたくさんのものを持っている彼女、とてもうらやましかった。 中学に入学すると、私はソフトテニス部に入部し、彼女は同じ部の...

北海道出身者は、『北から目線』。

今日は、早朝から雪の東京。あれ? なにこれだけ? みたいな感想です。だって、ねぇ。ベランダは、この程度だったんですよ。昨日から、どれぐらい降るのかなあと、ワクワクしていたのに、正直拍子抜け。これが、北海道出身者の『北から目線』だそうです。雪慣れしている人だからこその、物足りなさからくるエラそうな物言い。 昨夜は帰りが遅すぎて、スーパーが閉まっていたので、買い出しができずに帰宅。なので、今日早めの時間に食材を買い出しに行かねば、と思っていたのでした。期日前投票も兼ねて、着込んで外出。そうか、東京は除雪車が出回らないわけだな。だから、道路がこのようになってしまうわけだ。私の田舎エリアの場合は、少なくても公共道路は除雪車が早々に作業をするので、このような状況はない(きっぱり)。家の前は、別ですよ。家の前は、それぞれの方が除雪するから。 門前仲町の辰巳新道でも、おじいちゃんがゆっくりと除雪作業をしていた。がんばって。 不動尊そばには、雪まみれの石像が。寒そうね。 週末の深川公園には、いつもなら野球少年たちがあふれているのだが、さすがに今日は人ひとりいない。北海道の場合は、雪中サッカーをする少年がうようよ集まっているのだが、東京ではやらないのね、なーんだ。 期日前投票を済ませて、参道沿いの角打ち「 折原商店 」へ。夜までには、まだ時間があるにもかかわらず、お客さんは出来上がっていましてね。みなさん、楽しそう。でも、さくっと買い物をして退出しました。 家に戻ると、風が抜けるので雪もたまっている部分とスッキリと飛んでしまっている部分に分かれている。私の田舎は太平洋沿岸で、風も強いので、積雪量も記録的になってニュースに出ることお多いが、実際は風で飛ばされている場所も多く、私の家のまわりはけっこうすっきりとなくなっている場所もあったりする。 今日は本当に寒くて、鉄板でお好み焼きを、そしてお鍋も一緒に。キムチ鍋にしてみた。 折原商店で購入したのは、 山廃純米「雪の茅舎(ぼうしゃ)」 。秋田県由利本荘市にある、 齋彌酒造店 のお酒です。茅舎とは、かやぶきの家のこと。お味は、かなりさっぱりとして、すいすい飲めてしまう、正直怖い。それくらい、おいしかった。 豪雪...

北海道産たらこスパゲティと喜多方ラーメン。

帰省先から持ち帰った、広尾産の生たらこ。なかなか消費できずにいたので、思い切ってせっせと皮をとって、バターと混ぜてペーストに。それだけは物足りないので、きのことじゃがいもを炒めて、それと一緒に和えてみた。大葉とのりをのせて、たらこスパゲティのできあがり。 ささみを味噌漬けにして、高野豆腐の煮たのとピクルス、きんぴらの玄米ごはん弁当。あまり春っぽさがない。。 これも、まわりの小さなおかずは、ほぼ一緒。玄米ごはんに昆布とおかかの佃煮をのせて、鶏の塩麹漬け。  喜多方ラーメンをいただいた。さっそく作ってみた。白髪ネギたっぷり、黒胡椒たっぷりで。 新宿へ。西口にあるボンベイで食べたカレー。これは、野菜カレー。 こっちは、キーマカレー。キーマはスパイスが効いていて、ちょっと独特な味。でも、久しぶりだから、おいしかったー。

帯広の豚丼・びっくりドンキーのハンバーグ・玄米と鮭弁当。

ここ最近のお昼をはじめ、いただいたメニュー。 まずは、味噌ラーメンから。これは、とかち帯広空港の味噌ラーメン。北海道のラーメンは、やっぱり味噌かしら、ということで。そして、東京ではあまりみられない、なるとのせ。東京のチビッコは、この「なると」の存在は、知らないのでは。 そして、これも十勝帯広空港での、豚丼。有名店「ぱんちょう」なら、もっと脂身がついている。さらに、お店によっては、グリーンピース乗せもあり。黒胡椒の粗挽きなどがぱらぱらとかかっていることも。 こちらは、ラーメンまつなが(帯広市東6条南16丁目3−4)でのランチメニュー、ラーメンと豚丼のセット、これがいかにも帯広メニュー。豚肉がやわらかくて、おいしかった。そして、ここのラーメンにも、やはりなるとのせ。 きた。びっくりドンキーのハンバーグ。びっくりドンキーの本社は、北海道なのです。 大樹町のレストランかしわの豚丼セット。とてもボリューミー。私は、ちょっと残してしもうた。すいません! ここは炭火で焼くタイプの豚丼。それがとっても、おいしい! さらに、東京ライフへ。玄米ごはん/鶏胸肉のから揚げ/さつまいもチップス/かぶの葉のごまあえ/きんぴらごぼう/こいわあしの佃煮。かな さらに、この日はもりたさんの誕生日。1月7日だった。「しょっぱいものがいい」というもりたさんからのオーダーで、サルバドーレピザのベーシックなやつを3種。チーズを使用しないマリナーラ/ベーシックなマルゲリータ/4種のチーズピザ、はちみすのせ おいしかったー。チーズとはちみつって、意外に合うのね、びっくり。 そして次、玄米ごはんとハンバーグ、さつまいもの天ぷらと紅白なます、大豆ときゅうり、トマトの甘酢サラダ。 こちらは、玄米と鮭の弁当。玉子焼きと小エビのから揚げ、きゅうりと大豆の中華サラダ。じゃことたらこをのせて、できあがり! はー明日は金曜日じゃないか。つい、土曜日の気持ちになっている、勘弁。

この足あとは、のら犬?

正解は、キタキツネが歩いた跡です。彼らは、人をあまり怖がらない。ひとなつっこいので、平気で近寄ってきて、獲物をさっと奪って足取り軽やかに去っていく。それは食べ物のときもあれば、小さな子どもが遊んでいるボールの時もある。すばやく見つけて近寄り、子どもが怖がって足がすくんでいるあいだに、ささっと奪う。そして、華麗に走り去る。それはそれは、見事な行動です。 キタキツネは、アイヌの人たちには大事な仲間だったようで。クマと一緒ですね。 クマが神送りされる「イオマンテ」 という儀式があるが、私の田舎のある道東エリアではキタキツネのイオマンテもあったそうだし。

北海道民俗資料のようなもの、100年前の暮らし(2)

引き続き、100年前ぐらいの北海道民の暮らしが少しでもわかる写真。ちなみに 第一弾は、こちら 。 ●約65年前(昭和25年頃)の広尾港(現・十勝港)での磯遊びの様子。いま、港はすっかり港なので、こんな遊びはもちろんできない。さらに港から日高方面へ向かうエリアで砂地は、ほんのごく一部。かつて海水浴も少しはできたが、今はサーフィンの人がやってくる狭いエリアのみ。確かに、水着姿の人がぜんぜんいない、みな着衣状態。 ●約65年前(昭和25年7月下旬)、十勝港で海水浴を楽しむ子どもたちの様子。この場所は、私の生家のそば。現在の、広尾漁業協同組合の製氷工場付近だが、今は港なので船が岸壁にぴったりとついているので、海に入れる状態ではない。さらに、沖には堤防もあるので、こんなに波が押し寄せてこない。様変わりしている。 ●約80年前(昭和8年7月31日)、 ルベシベツ にて針供養の記念撮影。場所はたぶん、黄金道路ではないだろうか。このクルマ、女性たちの色っぽさ、背後の太平洋。すべて昭和。こんな様子はもう、どこにもない。 ●約60年前(昭和30年頃)の昆布拾いの様子。場所は、おそらく太平洋沿岸、 黄金道路 だと思う。普通の漁なら、小さな船で漁を行うが、これは拾っている。おそらく、その前に海がしけていて、昆布が海岸に上がったのだろうと思う。ちがってたら、すいません。 ●約80年前(昭和10年頃)の広尾港(現・十勝港)。 浚渫船(しゅんせつせん) が遠くに見えている。おそらく、港の拡大を行っている時期だと思う。港のすぐそばにマルタがあったり、土が見えているのは、現在の姿を見るとまったく想像がつかない。ただ、1952年(昭和27年)に、 十勝沖地震 が起きているので、その後対策を取られているとは思う。こんなにすぐ港が近いと、かなりまずい。 ●約60年前(昭和30年頃)、イカ干しの様子。左の女の子は、家のお手伝いをしているのでしょう。イカ干しの様子を見た記憶はあるが、このような笠をかぶって干している様子は、記憶がない。主に、海岸線で干していたような気がする。イカ釣り漁船が夜に点灯する 沖合遠くに見える集魚灯 は、小さいころからよく見ていた。 ●約50年前(昭和36年)、 港まつり の山...

北海道民俗資料のようなもの、100年前の暮らし(1)

以下の写真は、北海道広尾町の商工会議所が発行しているカレンダーに採用されている画像を撮影したもの。昨年も、このような昔の暮らしぶりがわかるような写真を使って、カレンダーにしていたらしい。とてもいい試みだと思う。 ●これは、現在 十勝港 という名の港。約60年前(昭和27年頃)は流氷が流れ着いていた。黒くみえるのは、たぶんカモメかな。今とはまったく様子がちがうし、流氷はここまで流れてこない(はず)。 ●約50年前(昭和38年1月4日)の出初式の様子。おそらく、広尾町本通6〜7丁目方面となっているので、当時いちばん栄えていた商店街の中心地がそこだったのだと思う。 ●約100年前(大正8年8月1日)に竣工した、茂寄(モヨリ)橋(現・広尾橋)の渡り始めの様子。このキャプションによると、このあと8月13日夜からの大雨のため、14日夕方に流失してしまったらしい。 ●約60年前(昭和30年前半)ごろの、消防署のみなさん。消防署の建物が、とても懐かしい。こういう建物が、まだ町の中には少しだけ残っているが、もうボロボロで倉庫として残っているぐらいの印象。 ●約70年前(昭和20年頃)、結氷した十勝港の氷上で遊ぶこどもたち。いまは、ここまで凍らないのでよほど気温が低かったのだろうか。 ●約100年前(大正5年頃)のクマ撃ち名人。アイヌの人だろうか、ほりの深い顔立ち。手にしているのは、銃。長い銃なので、おそらく遠距離から狙撃するのでしょう。たしかにクマを撃つなら、遠距離じゃなくちゃまずいでしょうし。 ●約55年前(昭和35年2月24日)、当時町の中心エリアである本通り8丁目にあるお店が、これ(たぶん)。雪が溶けて、道路がたいへんな状態。このお店は酒屋さんで、左には「トリス」の看板も見える。しかし、いまはもうないはず。 ●約70年前(昭和22年頃)の布海苔(ふのり)採りの様子。今でも 黄金道路の沿岸では手摘み しており、高品質で貴重品。 ●約75年前(昭和15年6月17日)、 十勝神社 造営地での記念撮影。おそらく、地元の名士たちが集まっているのでしょう。みな、おしゃれしている。十勝神社は300年以上の歴史があり、十勝でいちばん古い神社といわれている。サクラの名所...