以下は、2013年10月28日(月)
ほぼ日『今日のダーリン』より
こんな文章が書けるようになれるだろうか。
私はまだまだ、人生経験不足なのだろうな。
ほんとに、まだまだ。
・「こころの財産」
人の記憶というのは、
その人の財産なのではないか。
美しいとかたのしいとかばかりでなく、
みすぼらしいにしても口惜しいにしても、
すべての憶えていることは、
こころの財産なのだと思ってみる。
遠い景色のなかにいたありふれた犬。
名前も知らぬまま、かわいがったおぼえもない。
でも、あのガラス屋にいたっけなぁという記憶。
それは、やっぱりこころの倉庫にしまわれた財産だ。
道を歩く老人の鼻のあたまに見つけた鼻水。
ふられたはずの女の子の、いま思えばダサいワンピース。
自慢できるはずもない運動会の成績。
土に足でベースを描いてやっていた草野球。
机の引き出しから出てくるガラクタの数々。
昔やった仕事の、なんとも情けないファイル。
長いことかけていた古臭いメガネ。
捨ててしまってもいいものや、
忘れてしまってもいいような思い出は、
すべて「こころの財産」だったのだと気づく。
数少ない輝ける栄光の思い出も、
賞状やトロフィーも、もちろん「こころの財産」だけど、
しょうもない経験や、貧相な記憶も、
それは財産にカウントされていいものなのだ。
だって、他の誰も持っていないものなのだから、
ぼくという人間のこころをつくっている材料なのだから。
いや、あえてもっと言えば、
ぼくのしてきた小人物らしい悪事や、手を汚したこと、
他人に見せられない恥ずかしい感情やふるまいも、
すべてが、いまのじぶんの「こころの財産」なのだ。
記憶のすべては、懐かしさのコーティングをされて、
いまのじぶんの「こころの財産」になっています。
人間のこころって、まぁ、ほんとにグロテスクでもあり、
ものすごく色とりどりなものだと思います。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
少年も老人も、同じように、今日も記憶を貯めていきます。
ほぼ日『今日のダーリン』より
こんな文章が書けるようになれるだろうか。
私はまだまだ、人生経験不足なのだろうな。
ほんとに、まだまだ。
・「こころの財産」
人の記憶というのは、
その人の財産なのではないか。
美しいとかたのしいとかばかりでなく、
みすぼらしいにしても口惜しいにしても、
すべての憶えていることは、
こころの財産なのだと思ってみる。
遠い景色のなかにいたありふれた犬。
名前も知らぬまま、かわいがったおぼえもない。
でも、あのガラス屋にいたっけなぁという記憶。
それは、やっぱりこころの倉庫にしまわれた財産だ。
道を歩く老人の鼻のあたまに見つけた鼻水。
ふられたはずの女の子の、いま思えばダサいワンピース。
自慢できるはずもない運動会の成績。
土に足でベースを描いてやっていた草野球。
机の引き出しから出てくるガラクタの数々。
昔やった仕事の、なんとも情けないファイル。
長いことかけていた古臭いメガネ。
捨ててしまってもいいものや、
忘れてしまってもいいような思い出は、
すべて「こころの財産」だったのだと気づく。
数少ない輝ける栄光の思い出も、
賞状やトロフィーも、もちろん「こころの財産」だけど、
しょうもない経験や、貧相な記憶も、
それは財産にカウントされていいものなのだ。
だって、他の誰も持っていないものなのだから、
ぼくという人間のこころをつくっている材料なのだから。
いや、あえてもっと言えば、
ぼくのしてきた小人物らしい悪事や、手を汚したこと、
他人に見せられない恥ずかしい感情やふるまいも、
すべてが、いまのじぶんの「こころの財産」なのだ。
記憶のすべては、懐かしさのコーティングをされて、
いまのじぶんの「こころの財産」になっています。
人間のこころって、まぁ、ほんとにグロテスクでもあり、
ものすごく色とりどりなものだと思います。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
少年も老人も、同じように、今日も記憶を貯めていきます。
世間は"ダンシャリ"一辺倒で、
返信削除こころが放棄されがちな風潮にあって、
原っぱ的な視点がいいですね。
結びの部分が少し曖昧ですが、
人間性の恥の部分も隠さないところが、
考える幅を与えていますね。
peteさん。たしかに、結びがあいまいかもしれないですね。言われてはっ!と気がつきました。だからこそ、私、まだまだなんです。。がんばらねば!
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