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ポロック展@東京国立美術館

相変わらず、ノマドな日々。
もちろん、こもって作業することもありますよ。
そうしなくちゃ、コピー書けないですしね。

ってなわけで、合間をぬって行ってきました。今回は竹橋です。















生誕100年
ジャクソン・ポロック展
5月6日(日)まで
@東京国立近代美術館

ポアリング(ドロッピング)、どかーん。
















上記の作品は、ポロックの絶頂期に制作したというもの。1950年制作です。その前の時代、初期は作品のテイストがずいぶん様子が違っていたので、驚きでした。キュビズムの影響もあるのですね。メキシコの壁画やネイティブ・アメリカンの影響かな、という作品もあったし、シャーマニズム風作品も見受けられた。

そして、絶頂期を迎えるのが、1950年のちょっと前ぐらい。この作品、すごい。本物は、さらにすごい。バリバリのマチエール、どの色からドリッピングしたんだろう、わからないほど、重ねて重ねて、ボコボコになっている。本当に驚いた。

短めの映像が2つ放映されていたのですが、それについての印象を少し。
アクション・ペインティングは、脳と視覚と運動神経が一体となって、その信号がカラダのすみずみまできちんと行き届いているからこそ成立するわけですね。自分が考え、イメージしたとおりに腕とカラダを動かし、描くということ。運動神経と脳、視覚が相当発達していなければ、作品にならないでしょう。絵がヘタな私にとっては、自由に腕を動かし、カラダを使うドリッピングの「運動性」について、似たような印象を抱いたことがあります。以前、元バレリーナ草刈民代さんのインタビューをまとめた際、バレリーナはアスリート、と感じたのです。それと同様、美術作家もある意味アスリートじゃないかなと思ったわけです。

会場から出ると、ポロックのアトリエとなっていた小屋が再現されていましたよ。カッコイイ。








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