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ヤン富田 パフォーミング・アーツ 『実存と構造と生命体』@アサヒ・アートスクエア


ヤン富田さん。←プロフィールはこちら。ブログもあります

浅草にあるアサヒ・アートスクエアで行われたライブに行ってきました。ステージの機材に、釘付けです。








興奮のあまり、ぶれまくってます、すいません。機材に詳しくないのでよくわからないのが、とても残念でした。makerの方なら、よくわかりそう。私の弟は、こういうのが理解できるんだろうな。ヤンさんは、ケーブルごちゃごちゃの中に手を突っ込んで、つまみをくるくるといじっていました。なんだか、楽しそうに。

私の実家は、船舶無線の取付工事をする会社で、船田無線といいます。子供の頃からケーブルまみれ、モールス信号と消防系無線などにまみれた生活を送っていました。なので、ヤンさんのステージは、私の幼少体験そのまま。モールス信号の音も流れていた。萌え。

今日は、キャロラインちゃん(バッファロー・ドーターの大野さんが声らしい)は登場せず、スージー・キムさんによる歌。ほかにラッパーの方も数人出てこられました。私がラップ界隈に詳しくないため、どなたかはわからなかったですが、知る人ぞ知るような方だったのでは。音響関係は、ダブマスターXの宮崎さん。さすがに私でも、この方はわかる。

最後に、スタッフ全員の紹介もされました。そういえば、動くヤンさん、しゃべるヤンさん体験は、きょうがはじめて。









ヤンさんのお住まいは、羽田空港そばだそうで。夜、着陸待ちの飛行機がホタルのように飛んでいるさまが見え、その様子と音を聴きながら、お家で本を読むと、とてもインスピレーションがわいてくるのだとか。

スタッフのみなさんの衣装、まるで空港の整備スタッフのようだと思いませんか?

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