岡本太郎の本を、初めて読んだ。もちろん美術作品は数々観ているし、東北地方の記録写真も川崎の美術館や昨年の生誕100年回顧展で見ている。沖縄に関する活動は、久高島へ乗り込んだということぐらいの知識だった。
彼は、パリ大学・ソルボンヌで民俗学や社会学などを学んでいる。それもあって、東北や沖縄の土着的なものに、惹かれるのか。
沖縄の印象が、 とても近いものを感じる。歴史や基地の問題など、いまだに山積み。でも、行ってみると、拍子抜けするような、ない感覚。ないが「ある」、と簡単に言えない不思議な感覚。私は昨年、沖縄へ初めて行った。ガイドブックも見ずに。持参した本は、宮本常一の「忘れられた日本人」(岩波文庫)など。でも岡本太郎のこれは、東京に戻ってから読むつもりで、あえて持って行かなかった。正解だった。あの地で読んでいたら、自分の純粋な感覚が持てなかった気がする。ガイドブックも見なかったのも、よかった。だから、この岡本太郎の書いた文章が、いっそうじんわりしみてくる。この写真は、道端の一コマ。たぶん、お墓じゃないだろうか。そう思って、収めた一枚。
彼は、パリ大学・ソルボンヌで民俗学や社会学などを学んでいる。それもあって、東北や沖縄の土着的なものに、惹かれるのか。
沖縄の印象が、 とても近いものを感じる。歴史や基地の問題など、いまだに山積み。でも、行ってみると、拍子抜けするような、ない感覚。ないが「ある」、と簡単に言えない不思議な感覚。私は昨年、沖縄へ初めて行った。ガイドブックも見ずに。持参した本は、宮本常一の「忘れられた日本人」(岩波文庫)など。でも岡本太郎のこれは、東京に戻ってから読むつもりで、あえて持って行かなかった。正解だった。あの地で読んでいたら、自分の純粋な感覚が持てなかった気がする。ガイドブックも見なかったのも、よかった。だから、この岡本太郎の書いた文章が、いっそうじんわりしみてくる。この写真は、道端の一コマ。たぶん、お墓じゃないだろうか。そう思って、収めた一枚。
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