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秋田「きりたんぽ鍋」冬の東北11


 一度、ちゃんと食べてみたいもののひとつに、秋田名物「きりたんぽ鍋」があります。


●きりたんぽは、炭焼きや秋田杉の伐採のために山ごもりした人たちが、山小屋で残り飯やおこげを練って鍋に入れたり、味噌を塗って食べたのが始まりといわれています。比内地鶏、きのこ、ごぼうなどをスープで煮込み、こんがり焼いたきりたんぽとネギ、セリを入れた秋田の郷土料理です。

 上記の説のほかに、マタギ料理が起源という説もあるとか。マタギ(狩人)が食べ残した握り飯を、捕獲した鳥獣鍋に入れて食べたのが始まり、という言い伝えもあるらしい。
 『冬に米が食える身分なら(わざわざ危険を冒して)冬山に登らない。マタギにとっての狩りとは米を食えない身分が生存権獲得のために行うギリギリの(山神から食を賜る)宗教行為なのであって、おにぎり片手に行うハンティングではない』wikipediaより
 さあどちらなのでしょうね。

 大館きりたんぽ協会によると、きりたんぽ(鍋、ではなく)、大館では普通の家庭料理、と書かれています。おふくろの味。さらに、冠婚葬祭の際に必ずふるまわれるこちそうだとか。秋田では、学校給食にも出るそうですよ。おいしそう。


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