「群像」 2013年2月号に掲載されている、岡田利規さんによる戯曲「ZERO COST HOUSE ゼロコストハウス」。芝居を観た(2/13/2013のpost)のが先、戯曲はあとからそのシーンを思い出しながら、読み進めた。
岡田さんの戯曲は、ことばがとても多い。役者さんは舞台で、しゃべりまくる。口語調なので舞台ではもちろんするすると耳に入ってくるし、戯曲は読みやすい。言葉の人、なんだろうな。
ひとつの舞台のうえで、時間軸が2つ3つ、同時進行しているという構成。その時間軸でのやりとりも入りくみ、まるでパズル。
さらに、日本人役を外国人の方々が演じ、それはほぼ作家自体の自伝のようなストーリー。英語で話すセリフの日本語訳は、舞台の左右に縦書で出てくるので、日本人はその文字を目で追う。
頭がぐるぐると、そしてストレッチされていく不思議な体験。
このような、いくつもの時間軸を同時に短く進めていく展開の映画があった。私が少ない記憶の中で残っているのは、レイモンド・カーヴァーの短編を映像にしたロバート・アルトマン監督作品「ショートカッツ」。
日常を描いているのに、非日常。人と人との感覚のズレ、会話のやりとり。など、岡田さんの今回の世界観に触れて、すぐに思い出したのはこの映画だった。もちろん、ぜんぜん違うのだが、構成というか全体の枠組みのようなものが、近い気がした。
キーになったのは、(建てない)建築家の坂口恭平さん。岡田利規さんは、坂口恭平さんとの出会いがあったからこそ、この作品が仕上がったでしょう。
アメリカの作家・思想家・詩人でもあるヘンリー・デビッド・ソローの作品「ウォールデン-森の生活」と、坂口さんの「0円ハウス」「TOKYO 0円ハウス 0円生活」。これらが、岡田さんの311体験、過去と現在が対話しながら、何層にも重なっていく。
これまでとはちがう、岡田さんの世界が新しく開かれた気がする、そんな読後感。これまでの作品を、毎回観ているわけではないのだが、印象としては若い人たちのもやもやっとした心を、抽象的に舞台で表現(役者の身のこなしも含めて)していた感があった。今回は、私的な経験に基づいた内容。自分をさらけ出している(どこまでが本当の話かどうかは、別だけど)。具体的な事柄がたくさん出てくるのは、英語=外国人の方が演じるから、かもしれないし、311の影響かもしれないし。いずれにしても、外国のカンパニーとのコラボレーションは、とてもいい影響をもたらしていると感じた。
とはいても、芝居を観ていない方でもかなり堪能できる内容だと思う。観ていない方のほうが、純粋に読み込めるかもしれない。
だとすれば、私はその楽しみを、すでに失っているわけで、残念無念。
まあしかし、坂口さんのうさんくささが、舞台で実にいいカンジだった。外国の役者さんが演じる坂口さん、見事なまでのうさんくささ。胸ボタン5つぐらいはずしてたし、そんな細かい演出も、笑った笑った。岡田さんの芝居って、こんなに笑えたっけ?というほど。
でも、これを数年後に観て、いまと同じように観られるかかは、また別問題かもしれない。今だからこそ意味があるもの、を観させてもらったのだろうな。
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