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11月, 2013の投稿を表示しています

お弁当、食べるが好きなのか、作るのが好きなのか。

これは、昨日のもの。 玄米ごはん/めかじきのバジル香草焼き/きゅうりとパプリカ、きのこ・人参の甘酢漬け/さつまいもとツナのサラダ/ひじきと大豆とこんにゃくの煮物 お弁当に対する思いというか、あこがれは、けっこう強い。母の妹、つまり私のおばが、今はなき旦那様へいつもおいしそうなお弁当を作っていた。私の実家は自営業なので、父がお弁当を持参することは、ほとんどなかった。 私が学生のときは、自作でテキトーなものを詰めて学校へ持っていっていた。母の手作りじゃない、理由は自分で作りたかったから。母に作ってもらうのがイヤということじゃなくて、自作したかったから。あと、母がとりわけ忙しかったから、手間をとらせたくなかったということもある。 で、おば作のお弁当。ほんとにおいしそうだったのですよ、これが。色合いもキレイ、魚がメインディッシュ、野菜もたっぷり。私の中の、あこがれ弁当No.1。お弁当に対する思いは、そこから来ていると思う。 だから、おじがなくなったとき、電報でそのお弁当にまつわるお話しを短く送った。弟いわく、お通夜の場が号泣の渦だったとかそうじゃなかったとか。。 いま、私のお昼ごはんはかれこれ半年以上、お弁当を作っている。しかも週末も、なにかとお弁当を作るから、ほぼ毎日何かしら作っているかもしれない。 小さな空間に、色合いやカロリーなどのバランスをぎゅう詰めする感覚、箱庭っぽくてとてもおもしろい。お昼ごはんをコンビニのお弁当で済ませる人は、ちょっと残念だと思う。もちろん、時間がなくてバタバタしている現代人、弁当など作っていられるか!だとは思うが、テキトーなお惣菜を買って、器に少しづつ詰めるだけでも、なかなか楽しいはず。いまは、コンビニでも少量のお惣菜がたくさん売っているし。かなりクリエーティブな作業なので、気分転換にピッタリだと思うのだが。どうでしょう。

堤清二(辻井喬)さんがお亡くなり、糸井さんは。

私が広告の仕事を始めた時代でいうと、すでに西武はつねに一歩先、という広告を世の中に送り続けていた企業のひとつであった。とりわけ、今では考えられないような、ぜいたくで、エッジの効いた広告制作。糸井さんは、西武があったからこその存在でしょうから、堤(辻井)さんへの思いは、計り知れない。 糸井さんは以前、このようなコラムをお書きになっている。 <ある没になったコピーの思い出> 「…堤さんの、あの怒りようは、 その後のぼくの考え方に、 ずいぶん大きな影響を与えている。 企業の依頼でコピーを書くという仕事をしてきて、 あの時あんなふうに、 自分の考えの根源が問われるのだとわかって、 ほんとうによかった…」 さて、堤さんがお亡くなりになったニュースが流れた翌日、11月29日のコラム。締めあたりのブロックは、正直、私にはなんとも解釈しにくい内容。ただ、堤さんがお亡くなりになったことに対する思いは、深いことは十分理解できる。それは、もちろんわかります。合掌。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 2013/11/29 fri 今日のダーリン より。 ・昭和天皇が亡くなったときに、  それにともなって昭和という時代がなくなった。  年号というのは、そういうものだから、当然のことだ。    堤清二さんが亡くなったと知って、  なんだか、なんだろう、どういうことか、  ずいぶんと「終ろうとしているなにか」を感じた。  年号ではないのだけれど、なにか、  ある時代までの文化が、消えていくように感じている。  それをことさらに惜しむつもりはないのだが、  「ほんとうに、時代って入れ替わるんだ」  という思いが強くなっている。     これはぼくの勝手な感覚みたいなものなのだけれど、  「元」がなくても、イメージはある‥‥という時代が、  ほんとうにやってきているような気がしている。  これが、デジタルということなのかもしれない。  台風だの、津波だのという大自然の暴力があるから、  例えばゴジラだって生まれたのだと思う。  人は、どくんどくんと胸が高鳴る身体に照らし合わせて、  恋愛の物語や歌を楽しんでいた。  「元」になる自然があって、そこから表現されるものが、  人びとの共感を呼んだりしていた  ‥‥そういう

読書時間確保が目的で。

写真は、テンペラ画ではない。単に、ファミレスの天面。エセ・テンペラ画。 そんなこと、できればしたくないのだが、仕方がない。図書館で借りてるし、返却日が過ぎているからとにかく読まなきゃ。でも、家でなんてゆっくり読めないので、15分だけ、女子の迎えの帰りにファミレスへ。 ワインを1杯、フォッカチオ、キッズドリンクだけ注文して、集中。読んでいるのは、金井恵美子著「目白雑録5 小さいもの、大きいこと」(朝日新聞出版)。15分間の読書と宿題。とりあえず、今夜はここまで。明日こそ、読みきらねば。 なんてことをしていたら、こんな記事が。 ファミレス、おひとりさま天国 家族いても通う理由 - 朝日新聞デジタル  拍子抜けするほど、似たような人がたくさんいるわけだ。納得。

年齢と経験で、言葉の密度はちがう。

「お気をつけてくださいよ」。21時半の浜町駅改札、お見送りする側の高齢の男性が声をかけた。お見送りされた方も、同じような年齢だろうか。『奥さんにもよろしく伝えてくださいよ』と、改札の中へ吸い込まれていった男性が、別れ際に言葉を返していた。「あぁ、いちおう伝えておくよ」と、少し苦笑いしながら、手を振った。 自動改札からちょっと離れて、帰宅するであろう方向に歩きながら、また振り向いた見送る側の男性が、「じゃあ。ほんとに、お気をつけて」と念を押すように、ホームに向かった男性に同じ言葉を繰り返した。視線はしばし、改札内への男性へ。 年齢によって、こんなに解釈がちがう言葉ってあるのか、と改めて思う。年齢だけではない、経験の多さと濃さも、そう。たとえば小学生が「気をつけてねー!」というセリフと、70代ぐらいの方にとっても「気をつけて」。その重さや密度の違いは、計り知れない。何気なく発した言葉なのかもしれないが、私にはそう感じた。 昨日、北海道の父の誕生日だった。あまりにあわただしくて、電話ができなかった。今日の夜、電話をしたばかりだったので、駅でご年配の男性同士、お互いを気遣う「気をつけて」という言葉の密度に、なんだか胸が締めつけられた。

キッズ向けエデュテイメント・サイトの制作。

とある企業の子供向けエデュテイメント・サイト制作が、いま佳境。思えば、今年はずっとこれだったか。 クライアントにの願いは、子どもに理解を深めてもらいながら、離脱をあまりしないような工夫が必要なものを。当然である、必須条件。一方、ユーザーである子どもの親にとっては、どうだろう。ネットにずっと向かっている子どもの姿を、親はかなり嫌悪する。そのサイトにゲームがあると、当然子どもはやりたがるし、中毒性がないともいえない。 子どもがネットから得られる情報、かかわる時間、中毒性、などなど、とても悩ましい問題が山積み。頭がいたい。

『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』金井美恵子著(朝日新聞出版)

これを、読み始めている。とても面白い。私は、女性作家の文章があまり慣れなくて、男性のものばかり普段読んでいた。金井美恵子さんの著作は、これが初めて。文章、なんてうまいのだろう。そしてとても辛辣、気持ちがいい、スキっとする。すごいなあ、こんな女性がいるなんて。読むきっかけになったのは、 このブログ を読んだから。 内容は、震災以降のこと、震災の話がメイン。とても緻密な内容で、膨大な読書量なのだろうなあ、知識がぎゅう詰めになっている。まだ序盤あたりしか読んでいない。普段、電車にはあまり乗らないので、ながら読みする時間が作れない。読書時間を確保しなければ。ほんとに、面白い本。出会ってよかった。

文句じゃなくて提案でしょ。

いろいろ言いたいことがあるのが、現代人。仕事の打ち合わせの場では、もう、とにかくひとつ何かいえば、揚げ足取りが好きな人にとっては、一言ひとこと、足をすくう、という人がたまにいる。おそらく、意識にはないのだろうが、無意識で文句を言ってしまうのかもしれない。 たとえば、イメージの例え方に対して、「それってありえない、なんかちがう」と言う(なんかって、なんだ?)。続いて、絵本「〇〇」に出てくる地の底というか地獄というか、そういうイメージとか、といえば、『地獄っていう言葉はどうなのだ?そんな言葉使えないわけだし』など(地獄というワードを使ってみる、とは、ひとことも言ってないのだが)。 これでは、アイデア出しにはならないわけです。文句じゃなくて、提案やそれを元にしたさらなる上のアイデアなどを出すことで、もしくはイメージのもとになる画像などを持参することによって、ブレストのもとになると思いますから。出されたものに文句を言うだけ、相手をけなすだけの場は、打ち合わせでも会議でもない。 美術などの場合は、『あの展覧会、ほんまにしょうもない』と、言うのはカンタン。悪口・文句は、だれでも言える。そうではなくて、これはこうあったほうがいい、とか、あの展示はここがまずいから、こうすると良くなる、と、もっと提案性のあることを言わなければ、単なる文句を言う感想だけの人。あれこれ言いたい気持ちを抑えてこそ、物書きで生きている人間だと思いますがね。 文句言いには、賛同できない。共感もできない。提案をしませんか。

濃く本気なものが薄い興味の人たちにも支持されたら勝ち。

その通りでして。 このタイトルの言葉は、2013/11/25(月)のほぼ日『今日のダーリン』コラムのもの(すいません)。ものを作る人は、とにかく、うんうん考えて作っている。だから当然、濃い。その対象について考えていない人に振り向いてもらいたいから、振り向いてもらえる言葉や絵やしかけを、いつも考えているから、振り向いてほしいし、気づいてほしいわけでして。 取り組むなら、濃く本気じゃなきゃいけない。テキトーにやっちゃいけないし、ウソなんて書けない。 以下は、コラムの本文。 ・ 『ロボットコンテスト』 の決勝大会に行ってきました。  今回の決勝は、「高専」の学生たちの大会です。  他に「大学ロボコン」さらには、  「ABU(アジア・太平洋)ロボコン」とあります。  ぼくはもともと、  たまたま「ロボコン」の放送があったら、  なんとなく観ておもしろがる程度の視聴者だったのですが  先日の「ABU(アジア・太平洋)ロボコン」を観て、  これは思っていたよりおもしろいぞ、と感じたのでした。    このコンテストのおもしろさは、  設計図で審査するわけじゃない、というところです。  実際につくって、人びとの目の前で動かして見せて、  競技に勝利する‥‥という「具体的な」試合なのです。  同じような年齢の若い人たちが、  身体をつかうスポーツで競い合っているように、  「ロボコン」に参加している人たちは、  ロボットといっしょに、  とても「具体的な」競技をしているのです。    考えて、つくったロボットは、  じぶんたちのチームの代表選手、チームメイトである。  そういう感覚を、参加校のすべてのチームに感じました。  あるチームのメンバーは、マイクに向って言いましたっけ  「ロボットの出来は、つくった人間の出来ですから」と。  それが、とても本気の声に聞こえました。   ・国技館という相撲のためのフィールドで、  ロボットの試合が戦われているというのも、  なんだかとても現代的な風情がありました。  格闘系のスポーツをやる場所には、  気のせいか、とても野生的な匂いがしています。  その場所で行われる「ロボコン」にも、  当然のようにその匂いは移ります。  そこが、なんともよかったです。  

サカナマゾン 経由で、ししゃもが届いた。

北海道の弟に、とある方へお手持ちするために、ししゃもを送ってもらったら、こんな箱で届いた。やられた。

F/T13 イェリネク連続公演「光のない。(プロローグ?)」@東京芸術劇場シアターイースト

F/T13 イェリネク連続公演「光のない。(プロローグ?)」 @東京芸術劇場シアターイーストヘ。 演出・美術: 小沢剛 作: エルフリーデ・イェリネク

宴と浜町公園と清洲橋。

宴の夜であった。お店は「 まるよし 」。お酒は飲み放題であった。プレモルを、おいしくいただいた。 前菜。かつおのゼリー寄せ・水菜とえのきのおひたし・しめじとささみの梅肉和え。さらに白身のお刺身2点。 鮭の香草焼き(だったはず)。 天然鯛の蕪蒸し。 エリンギのクリーム煮入り春巻きと里芋、ししとうの素揚げ。 このあと、かに雑炊が出たけど、するっとたべてしまったので、写真とらず。 帰り道、ふらふらと歩き始めると、夜中の公園にたたずむ男性が。何を考えて何を見てるのか。 ほろよい気分で、ふらふら清洲橋へ。隅田川べりに、男性がひとり。釣りをしていたのかもしれないけど、目が悪くて全く見えず。寒い夜。工事現場の上に、大きな月が。

秋、靖国神社界隈。

靖国神社のお向かいにある、 和菓子『寶来屋』 。 外にはいつも、季節のおいしそうな和菓子がディスプレイされている。 ここは、朝から行列のできるパン屋兼カフェ「 Factory 」。 この日も、中腰でカシャッと写真を撮る女性がいた。人気だなあ。 ここは、前から気になっていた『ZO 設計室』。 象設計集団 とは、ちがう。 仕事先のIサンのお誕生日だった。 パティスリー・サダハル・アオキ のケーキずらり! 『サダハルはお菓子のホームラン王』と、お約束なセリフで安定のクオリティを保ってくれたMサンに感謝。

morning and night today@sumida river area

5:50 am 隅田川と東京スカイツリー@清洲橋から。 月夜の萬年橋。隅田川。キレイ 浜町公園側から見た、月。冬っぽい。 パンダはかなりお疲れの様子@浜町。

1:1.62 の黄金比。

人間が作った最も美しい図形といわれたのが、黄金長方形です(だそうです、知らなかった)。これは、名刺のカタチであり、タテと横の比が1:1.62 となっていて、この比のことを黄金比と呼ぶのだとか。 この黄金比は、パルテノン神殿やノートルダム寺院といった建設物の中に現われるだけでなく、ミロのビーナス像やモナリザのような彫刻や、絵画の中にも用いられているそうです。 んー知らなかった。よく『黄金比』という言葉は使われますが、正確には1:1.62 ということだとは。

満月の夜、小川町で。

今夜の月、とてもキレイ。満月は、どうやら昨夜だったようですが、今夜もとてもキレイです。さて、どちらが月か、わかりますか。ポールに左下、が正解です。 自転車で、靖国通りの信号待ちのとき、小川町交差点でぱちっと撮ってみました。かなりあせってます。ほんとは、靖国神社わきから見えている月が、とても大きくてキレイだったのでそれを撮りたかったのですけど、さすがに坂道を下っている途中はムリだから。

生誕100年!植田正治のつくりかた@東京ステーションギャラリーへ

自転車で東京駅へ。 植田正治さんの写真展「 生誕100年!植田正治のつくりかた」 。 初期のものから、晩年のお亡くなりになる直前のものまで、何点展示されていたのだろう、おびただしい数の点数。 子どもを撮影したものが、わたしは好き。つい、ニヤッとしてしまうようなものが、たくさん。 関連書籍も多数あったけど、買わずに帰宅。 はっとしてメモった言葉、ひとつあった。 「風景写真は引算だ」(1979年「わたしの風景写真」より) 確かに、植田さんの写真は引算。私が惹かれるところは、そこかもしれない。風景写真だけじゃない、引算は。広告なんて、まさにそう。残る広告、デザイン、コピーは、引算。理屈で考えても、足し算じゃなくて引算。いまの広告は、ほぼ足し算。あーでも、引算すべきものは、広告だけじゃないか。 東京ステーションギャラリーへは、きょう初めて行った。 まあしかし、東京駅、近い近い。自転車で10分ぐらいだろうか。またギャラリーへ行ってみよう。

塩麹漬け・タンドリーチキン・ギョウザ・辣白菜そしてアンテノール。

昨日、これらすべての下ごしらえを済ませていたので、外出できず。あんなにいいお天気だったのに。なので今日は、朝から出かける。走る。 清洲橋をおりて、川べりをゆっくり、佃方面へ。川俣正の作品、まだあるだろうかと思いながら。 やっぱり撤去。仕方なし、勝どき方面へ。あのおじさんは、どうしてるだろう。と思いながら勝どき橋を渡ったら。 荷物を置いたまま、どこかへおでかけの様子。いつもキレイに荷物を整理整頓している。今日は、長靴を干していた。 ハト、ひなたぼっこ中。 カモメものんびり休けい中。 帰りルートは清洲橋を渡り、アンテノールの工場へ。ここは、9:30開店前からパンの詰め合わせなど、お手頃価格になった前日の詰め合わせ商品を求める人がずらり並んでいる。さらに、もう一つの目玉商品が、ロールケーキの切り落とし@¥147。ひとり1個しか買えないけど、サイズ感はちょうどいい。おおきすぎないし。同行者がいたので普通のものとチョコタイプ、それぞれ購入して帰宅。 ごちそうさまでしたー。