私が広告の仕事を始めた時代でいうと、すでに西武はつねに一歩先、という広告を世の中に送り続けていた企業のひとつであった。とりわけ、今では考えられないような、ぜいたくで、エッジの効いた広告制作。糸井さんは、西武があったからこその存在でしょうから、堤(辻井)さんへの思いは、計り知れない。
糸井さんは以前、このようなコラムをお書きになっている。
<ある没になったコピーの思い出>
「…堤さんの、あの怒りようは、
その後のぼくの考え方に、ずいぶん大きな影響を与えている。企業の依頼でコピーを書くという仕事をしてきて、あの時あんなふうに、自分の考えの根源が問われるのだとわかって、ほんとうによかった…」
さて、堤さんがお亡くなりになったニュースが流れた翌日、11月29日のコラム。締めあたりのブロックは、正直、私にはなんとも解釈しにくい内容。ただ、堤さんがお亡くなりになったことに対する思いは、深いことは十分理解できる。それは、もちろんわかります。合掌。
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2013/11/29 fri 今日のダーリン より。
・昭和天皇が亡くなったときに、
それにともなって昭和という時代がなくなった。
年号というのは、そういうものだから、当然のことだ。
堤清二さんが亡くなったと知って、
なんだか、なんだろう、どういうことか、
ずいぶんと「終ろうとしているなにか」を感じた。
年号ではないのだけれど、なにか、
ある時代までの文化が、消えていくように感じている。
それをことさらに惜しむつもりはないのだが、
「ほんとうに、時代って入れ替わるんだ」
という思いが強くなっている。
これはぼくの勝手な感覚みたいなものなのだけれど、
「元」がなくても、イメージはある‥‥という時代が、
ほんとうにやってきているような気がしている。
これが、デジタルということなのかもしれない。
台風だの、津波だのという大自然の暴力があるから、
例えばゴジラだって生まれたのだと思う。
人は、どくんどくんと胸が高鳴る身体に照らし合わせて、
恋愛の物語や歌を楽しんでいた。
「元」になる自然があって、そこから表現されるものが、
人びとの共感を呼んだりしていた
‥‥そういう時代が、もしかしたら、ひょっとすると、
いつまでも続くものじゃないかもしれないと、
言うだけは言っていたけれど吉本隆明さんも、
堤清二さんも、「元」のあるイメージと共に生きていた。
もう少し年下で、そういう時代に生きたというつもりが、
いい年になったぼくのなかにもある。
かたちのないものでも、よくよくたどっていけば、
必ず、原型になる「元」があるように思えた時代。
その時代を凝視していた人たちが、次々に他界していく。
入れ替わっていくのだなぁ、と思わせられる。
観念にしかすぎないはずの数字が、別の数字を生み出し、
そのまた数字が、増殖してさらに複雑な数字を生み出す。
それで、ぜんぶ間に合うはずはないと思いつつも、
どんどんそうなっていくという変化を、ぼくは見ている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
次の時代の方向を見ていても、身体は古い時代にあります。
2件、考えさせられました。
返信削除ひとつ目。
ボツになったコピーを目にした時、意図が作為的すぎると感じたので、その理由もしごく当然でしょうね。辻井喬さんとしての思慮?かしらん。
ふたつ目。
およそ理解しがたく感じました。はじめの方の「元」がそもそもクリアな提示でないし、禅問答みたいな印象です。大自然の暴力〜に至ってははなはだ疑問でした。
お粗末な感想にて、草々。
peteさん。
返信削除読んでくださって、ほんと、感謝感謝です! いつもいつもおっしゃるとおり、大きくうなずくばかりです。ありがとうございます!
●ひとつめのこと、当時の時代性や感情とはあてまはまらないかもしれませんが、これ、女性側からするイラっとするコピーに感じました。だから、辻井喬さんの感覚の普遍性というか、仕事ができるできないかかわらずに女性の心を察することのできる方で、大きな企業のトップにいらっしゃったって、ほんとにすごい方だったのでしょうね。西武鉄道(つまり、ライオンズのオーナー)のトップの義兄の方は、自社のプロ野球チームの某監督が報告にうかがった際に『(来季の監督業を)やりたかったら、おやりなさい。』と言ったその感覚とは、ずいぶんちがいますよね。
●ふたつ目については、どうしたのでしょう、勢いで書いてそのまま上げてしまったのでしょうかね。糸井さんらしくないというか、平常心を失っている内容といいますか。大きな存在を失って、動揺しているのでしょうか、ね。