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北海道民俗資料のようなもの、100年前の暮らし(2)


引き続き、100年前ぐらいの北海道民の暮らしが少しでもわかる写真。ちなみに第一弾は、こちら

●約65年前(昭和25年頃)の広尾港(現・十勝港)での磯遊びの様子。いま、港はすっかり港なので、こんな遊びはもちろんできない。さらに港から日高方面へ向かうエリアで砂地は、ほんのごく一部。かつて海水浴も少しはできたが、今はサーフィンの人がやってくる狭いエリアのみ。確かに、水着姿の人がぜんぜんいない、みな着衣状態。



●約65年前(昭和25年7月下旬)、十勝港で海水浴を楽しむ子どもたちの様子。この場所は、私の生家のそば。現在の、広尾漁業協同組合の製氷工場付近だが、今は港なので船が岸壁にぴったりとついているので、海に入れる状態ではない。さらに、沖には堤防もあるので、こんなに波が押し寄せてこない。様変わりしている。


●約80年前(昭和8年7月31日)、ルベシベツにて針供養の記念撮影。場所はたぶん、黄金道路ではないだろうか。このクルマ、女性たちの色っぽさ、背後の太平洋。すべて昭和。こんな様子はもう、どこにもない。



●約60年前(昭和30年頃)の昆布拾いの様子。場所は、おそらく太平洋沿岸、黄金道路だと思う。普通の漁なら、小さな船で漁を行うが、これは拾っている。おそらく、その前に海がしけていて、昆布が海岸に上がったのだろうと思う。ちがってたら、すいません。



●約80年前(昭和10年頃)の広尾港(現・十勝港)。浚渫船(しゅんせつせん)が遠くに見えている。おそらく、港の拡大を行っている時期だと思う。港のすぐそばにマルタがあったり、土が見えているのは、現在の姿を見るとまったく想像がつかない。ただ、1952年(昭和27年)に、十勝沖地震が起きているので、その後対策を取られているとは思う。こんなにすぐ港が近いと、かなりまずい。




●約60年前(昭和30年頃)、イカ干しの様子。左の女の子は、家のお手伝いをしているのでしょう。イカ干しの様子を見た記憶はあるが、このような笠をかぶって干している様子は、記憶がない。主に、海岸線で干していたような気がする。イカ釣り漁船が夜に点灯する沖合遠くに見える集魚灯は、小さいころからよく見ていた。



●約50年前(昭和36年)、港まつりの山車(だし)に乗った女の子たち。たぶん、この山車で踊りを踊ったのではないだろうか。日舞をやっていた私の友だちは、お祭りになるとお化粧をして着物をまとって、踊っていた記憶がある。お祭りのメインイベントは、港での花火。帯広あたりからも見に来る方が大勢いた記憶がある。


●約95年前(大正10年頃)の秋祭り。十勝神社の秋の例大祭。今は、このような姿ではなく、いわゆるお祭りのハッピ姿でお神輿をかついでいるはず。当時は、このようないわゆる神社のお祭りらしい装いで行っていたとは。


●約60年前(昭和27年頃)の広尾港(現・十勝港)、秋鮭漁の定置網準備の様子。船がかなり、貧相(すいません)。これじゃあ、ちょっとした悪天候だとひっくり返ってしまいそう。後方に見えている船は、中型船だろうか。こちらならまだわかるが、私のおじは、沖で船から落ちてなくなっている。私がまだ、5歳くらいの時のこと。当時は意味がわからなかったが、手前に見えている小型船で秋鮭漁は、ほんとだろうか。



●約70年前(昭和10年頃)、こけら落としで歌舞伎が上演された広尾劇場。この劇場、私はまったく知らないし、親からもこのような施設があったことは聞いたことがない。どこにあったものだろう。しかも、歌舞伎が上演されるようなしっかりした施設があったことに、驚いた。



●約75年前(昭和16年頃)の小学校運動会の様子。私の母校。どの角度から撮影したのか、見当がつかないほど、現在は変わり果てている。さらにこの小学校は、数年前に廃校になった。過疎。


●約90年前(大正末期)、二見岩での祭事の様子。二見岩は厳島神社といって、宮島が起源なのかも、でも本当のところは不明。かつては写真にあるように、海に囲まれていたが、防波堤や建物に囲まれてしまって、とても残念な姿になっている。



こうやって見てみると、変わり果てていることに驚く。いいものを残しつつ、という年の重ね方を考えてほしかった。今からでも、そういう工夫をしてほしい。


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