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北海道民俗資料のようなもの、100年前の暮らし(1)


以下の写真は、北海道広尾町の商工会議所が発行しているカレンダーに採用されている画像を撮影したもの。昨年も、このような昔の暮らしぶりがわかるような写真を使って、カレンダーにしていたらしい。とてもいい試みだと思う。

●これは、現在十勝港という名の港。約60年前(昭和27年頃)は流氷が流れ着いていた。黒くみえるのは、たぶんカモメかな。今とはまったく様子がちがうし、流氷はここまで流れてこない(はず)。



●約50年前(昭和38年1月4日)の出初式の様子。おそらく、広尾町本通6〜7丁目方面となっているので、当時いちばん栄えていた商店街の中心地がそこだったのだと思う。


●約100年前(大正8年8月1日)に竣工した、茂寄(モヨリ)橋(現・広尾橋)の渡り始めの様子。このキャプションによると、このあと8月13日夜からの大雨のため、14日夕方に流失してしまったらしい。



●約60年前(昭和30年前半)ごろの、消防署のみなさん。消防署の建物が、とても懐かしい。こういう建物が、まだ町の中には少しだけ残っているが、もうボロボロで倉庫として残っているぐらいの印象。



●約70年前(昭和20年頃)、結氷した十勝港の氷上で遊ぶこどもたち。いまは、ここまで凍らないのでよほど気温が低かったのだろうか。



●約100年前(大正5年頃)のクマ撃ち名人。アイヌの人だろうか、ほりの深い顔立ち。手にしているのは、銃。長い銃なので、おそらく遠距離から狙撃するのでしょう。たしかにクマを撃つなら、遠距離じゃなくちゃまずいでしょうし。


●約55年前(昭和35年2月24日)、当時町の中心エリアである本通り8丁目にあるお店が、これ(たぶん)。雪が溶けて、道路がたいへんな状態。このお店は酒屋さんで、左には「トリス」の看板も見える。しかし、いまはもうないはず。


●約70年前(昭和22年頃)の布海苔(ふのり)採りの様子。今でも黄金道路の沿岸では手摘みしており、高品質で貴重品。


●約75年前(昭和15年6月17日)、十勝神社造営地での記念撮影。おそらく、地元の名士たちが集まっているのでしょう。みな、おしゃれしている。十勝神社は300年以上の歴史があり、十勝でいちばん古い神社といわれている。サクラの名所でもある。


●約80年前(昭和11年頃)の村議会議員立候補者ポスター。手書きだ。雨だと汚れるし、大変だったと思われるのですが。。ポスターが貼られているのは、なんだろう、塀なのだろうか。その前には、ストーブやかまど、風呂釜用だろうか、薪がある。子どもも大人も、今よりずっと大人っぽい。


●約50年前(昭和38年5月)、保育園の遠足の様子。円山公園は、札幌ではなく町内にある小さな公園。この碑は、いま残っているのかはわからない。おそらくないような気がする。保育園児が、いまより大人な気がする。親が仕事をしている子たちは、昔のほうが相手をしてもらえなかったり、大変だったと思うから。


●約60年前(昭和30年頃)の子どもたちの様子。親が仕事をしているそばで、集まって何をしているだろう。兄弟を抱っこしているお姉ちゃん、えらいえらい。今、自分が遊ぶときに兄弟を抱っこしているような子は、そう多くないだろうから、とても時代を感じる。


そして、第二弾はこちら

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