少年Mのイムジン河
松山猛 著
木楽舎 発行
昨日の朝日新聞の別刷BEに載っていた記事。
(映画の旅人)「パッチギ!」〈2005年〉上
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(映画の旅人:下)「愚かでええで」と仏も笑った
この記事を読み、松山さんの本が読んでみたくなり、図書館で借りた。映画「パッチギ」は、松山さんのこの本が原案となっていて、松山さんが過ごした少年時代の実話が綴られている。
この本、読みやすくてわかりやすくて、いい本だと思う。松山さんのイラストがやさしく、効いている。
私は、ザ・フォーククルセイダーズのことは詳しくないが、加藤和彦やきたやまおさむはわかる。帰って来たヨッパライもわかるし、悲しくてやりきれないも好き。でも「イムジン河」は知らなかった。1966年の曲。発売中止になっているなら、知らなくても当然か。この曲についての背景がわかりやすく記述されていて、すーっと入ってきた。すぐ読み終わるので、小学校高学年、中学生、高校生にぜひ読んでほしいと思う。
私が、日本に住む韓国系の方で、個人的な思い出といえば、韓(カン)さんのこと。
私が生まれ育った北海道の小さな町には、朝鮮半島から来ている方があまりいなかったので、差別などのことなどが実体験としてわからないまま育った。親も、とりたててそのような話をすることがなかった(あとから知ったのだが、私が知らないだけで私の住む町にもいらっしゃったのだった)。
田舎を離れて過ごした札幌では、学生の時も新卒で働いたホテルにも、おそらくいらっしゃらなかったような気がする。私が気づかなかっただけかもしれないが、北海道は東京や関西方面に比べて、少ないのかもしれない。まちがっていたら、すみません。
のちに、東京で最初に務めたインテリアデザイン会社に、カンさんという女性がいた。大人の女性で、とてもキレイ、本当に美人で、初めて会ったとき、とても驚いたのだった。東京って、なんてキレイな女性がいるんだろう、と。私はゆっくりのんびり話すほうで、早口で話すカンさんの言葉が聴き取れないことも多かった。よくカンさんには、「あーー、もっと早く話して!」と呆れられ、叱られた。
カンさんとは、お昼ごはんをよく一緒に食べた。テレビを見ながら、他愛ないおしゃべりをしながら。カンさんはいつも、お弁当持参。お弁当には、手作りのキムチがいつも入っていた。少しいただいたこともあるが、辛くなくてとてもおいしかった。
ある時、カンさんのおばあちゃんの話になった。「私のお母さんやおばあちゃんのことが、よくわかるから」と貸してくれた本がある。ちくま文庫の本「オモニの歌」という本。これを読んで、日本に暮らす在日朝鮮人の方のことを、それまで気にしていなかった、知らなかったことがとてもはずかしくなった。私、知らないことだらけで生きているんだ、と。そして、カンさんはお付き合いしている日本の男性と、結婚できないかもしれない、と悩んでいた。親族が納得してくれないから、と。親以外の親族が納得しないから結婚ができないという事情を、涙を浮かべなから語った。切ないが、あまりに違う習慣に、やりきれなさと、どうすることもできない無力感、複雑な歴史と関係なくのほほんと生きてきた自分の情けなさに、泣いてしまった私をみて、カンさんのほうがびっくりしていたようだった。
その後、私は広告の仕事をするために、インテリアデザイン会社を退社したので、カンさんとはそれ以降会っていない。風のうわさで、お付き合いしていた日本の男性と、結婚されたということだった。よかったね、カンさん。
松山さんの少年時代の行動、その後自分の正義感と青っぽさに複雑な心境を抱いていることは、とても共感できる。
それぞれの立場やちがいを理解して、認め合って、一緒に生活していける社会。自分の子どもたちが社会へ旅立つぐらいのときには、そんなまともな社会になっていますように。
このような話を書くことで、だれかが悲しい気持ちになりませんように。
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