タイトルが、絶妙。夜のミッキー・マウス、朝のドナルド・ダックなどという題が並ぶ、全30篇を収録。この詩集のなかで、ぐっときたものが2つ。
よげん
きはきられるだろう
くさはかられるだろう
むしはおわれ
けものはほふられ
うみはうめたてられ
まちはあてどなくひろがり
こどもらはてなずけられるだろう
そらはけがされるだろう
つちはけずられるだろう
やまはくずれ
かわはかくされ
みちはからみあい
ひはいよいよもえさかり
とりははねをむしられるだろう
そしてなおひとはいきるだろう
かたりつづけることばにまどわされ
いろあざやかなまぼろしにめをくらまされ
たがいにくちまねをしながら
あいをささやくだろう
はだかのからだで
はだかのこころをかくしながら
(「新潮」1996年9月号)
ひとつまみの潮
買っておけばよかったと思うものは多くはない
もっと話したかったと思う人は五本の指に足らない
味わい損ねたんじゃないかと思うものはひとつだけ
それは美食に渇きつつ気おくれするこのぼく自身の人生
アイスド・スフレのように呑み下したあの恋は
ほんとうはブイヤベースだったのではないのか
クネルのように噛みしめるべきだったあの裏切りを
ぼくはリンツァー・トルテのように消化してしまったのか
気づかずに他のいのちを貪るぼくのいのち
魂はその罪深さにすら涎を垂らす
とれたての果実を喜ぶ舌は腐りかけた内蔵を拒まない
甘さにも苦さにも殺さぬほどの毒がひそんでいる
レシピはとっくの昔に書かれているのだ
天国と地獄を股にかける料理人の手で
だがひとつまみの塩は今ぼくの手にあって
鍋の上でそお手はためらい……そして思い切る
レシピの楽譜を演奏するのは自分しかいないのだから
理解を超えたものは味わうしかないのだから
(「アリス・B・トクラスの料理読本」1998年)
2つめのものは、料理関係の本に掲載したものなのでしょうね。テーマがはっきりしている媒体に、正当法で臨んでいる、ぶれてない強さ。
最初の「よげん」は新潮に掲載した3篇のうちのひとつ。ほかは「ちじょう」「ふえ」というタイトルのもの。3つのうちで、これがいちばんしっくりきた。
このところ、詩をちゃんとよんでみようと思って、借りている本のひとつ。谷川俊太郎さんは、「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」もそうだけど、タイトルでぐっと惹かれるものが多い。勉強になります。
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