生まれてから、ずっと海のそばで暮らしていた。目と鼻の先が、港。遊び場は、港だった。かもめがたくさん飛び、小型船と中型船が停泊している。錆びた小型トラックが必ず何台かとめてある、船の男の人たちの車。
私の家は、船舶無線の取付をしていたので、休みの日にお出かけや旅行にはほとんど縁がなかった。5月の連休になると、船は漁に出る準備で、大忙し。当然、我が家も大忙し。つまり、子どもたちはほうっておかれる生活。出航の日には、港にサブちゃんの曲、演歌が大音量でガンガン流れ、船に乗る男性、船頭さんの罵声が飛ぶ。船の男の人たちは、荒っぽいから口が悪い。船には、カラフルな大漁旗が掲げられ、風になびく旗がたくさんあって、なんともいえない光景だった。
いまや減船もあるので、そんなハデな出航はまったくないらしい。とても残念。
私は進学等の関係で、田舎から離れたあとは札幌で生活し、その後東京の西側で暮らした。東京の東側にはあまり縁がなかったのだが、とある仕事で東側、川べりへ連日通っているうちに、いくつかの事情で水のそばに転居、いま川のほとりで生活している。水、川が呼んでいたのかも。
おそらく、また移転はするだろう。でも、おそらく水があるエリアになるような気がする。そこが仕事場かもしれないし、終の棲家かもしれないし。
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