学校教育の終わり (内田樹の研究室)
4月7日に記している、内田樹さんによる教育についてのブログを読んで、私の知人たちのことをふと思い出した。
・夫婦ともに省庁に勤務する知人夫婦の一人息子は、インターナショナルスクールへ入学した。
・地域や住人との交流もできる、とコーポラティブハウスへ入居した知人夫婦の二人の子どもたちは、地元中学ではなく、受験して私立中へ。
・地域のイベントや学校イベント、PTA活動にも積極的に参加する、辣腕弁護士でメディアにもばんばん登場すれば、著書も多数ある知りあいは、地元公立中学がだめになっていくから、受験させない、と娘ふたりを地元中学へ進学させた。
都市部だからこそ、さまざまな選択肢があるのだが、なんだかとても考えさせられた。
いえるのは、いろんなものが乖離している気がする。地域と学校がバラバラ。住人も、利便性だけでその地に住んでいる人もいれば、その地域が好きで住んでいる人もいる。温度差も違う。日中その町をふらっと歩ける人は、愛着もわくだろうけど、寝るだけに住居に帰る人にとっては、単に「いえがあるだけ」の場所。祭りも参加しないだろうし、地域のイベントなど、面倒極まりないだろう。
内田さんは、このような結論を。
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4月7日に記している、内田樹さんによる教育についてのブログを読んで、私の知人たちのことをふと思い出した。
・夫婦ともに省庁に勤務する知人夫婦の一人息子は、インターナショナルスクールへ入学した。
・地域や住人との交流もできる、とコーポラティブハウスへ入居した知人夫婦の二人の子どもたちは、地元中学ではなく、受験して私立中へ。
・地域のイベントや学校イベント、PTA活動にも積極的に参加する、辣腕弁護士でメディアにもばんばん登場すれば、著書も多数ある知りあいは、地元公立中学がだめになっていくから、受験させない、と娘ふたりを地元中学へ進学させた。
都市部だからこそ、さまざまな選択肢があるのだが、なんだかとても考えさせられた。
いえるのは、いろんなものが乖離している気がする。地域と学校がバラバラ。住人も、利便性だけでその地に住んでいる人もいれば、その地域が好きで住んでいる人もいる。温度差も違う。日中その町をふらっと歩ける人は、愛着もわくだろうけど、寝るだけに住居に帰る人にとっては、単に「いえがあるだけ」の場所。祭りも参加しないだろうし、地域のイベントなど、面倒極まりないだろう。
内田さんは、このような結論を。
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結論を述べる。
日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。
唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。
学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。
日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。
唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。
学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。
もう一つだけ救いがある。それは崩壊しているのが「公教育」だということである。国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。
もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂や適塾や松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。
このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。
それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。
もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂や適塾や松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。
このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。
それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。
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